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秀吉邸、上段郭横の大手道から撮影。 この付近から大手道は左に曲がっていく。 |
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大手道を左に曲がりきった箇所から撮影。 奥に見えるのが武井夕庵邸跡。 |
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信長の右筆であった武井夕庵邸跡。 敷地内には井戸もある。 |
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夕庵邸から更に道は右に曲がり更に高度を上げていく。 このあたりは「七曲り」と言われる箇所で道幅が狭くなり、右へ左へ道は振られる。 坂が最も厳しい箇所でもある。 カップルもたくさん来ていたが、城に興味のない女性の眉間に縦皺がよるのはこの辺りである。 |
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七曲を上がった所にある信長の嫡男信忠の屋敷跡。道はここで天守方面と総見寺〜百々橋口の二手に分かれる。写真左に見える階段は天守方面への道となる。 自分は結構信忠ファン。 信忠が凡庸であったかのそうでないかの議論についてはなんとも言えないが、本能寺の変の際に死んでいなければ…という創造を膨らませるのは楽しい。 |
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黒鉄門へ続く道。坂は緩やかになってくる。七曲りの写真と比べるとかなり違いが分かる。 | ||
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左:織田信澄邸跡。 右:森乱丸(長定)邸跡。 信澄は信長に殺された実弟信勝(信行)の息子で後に明智光秀の女婿となる。本能寺の変の際に光秀の縁者であった為に信長三男の信孝に疑われ殺害される。 森乱丸は美濃金山城主・森可成の次男で織田信長の小姓で奏者や御使も勤めた。本能寺の変の際に戦死。兄は長久手の戦いで戦死した長可。 |
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