一乗谷 その5 

遺構を展望用の東屋から撮影。これほど大規模に城下町の様子が復元されている場所を自分は他に知らない。


 パノラマ

遺跡の発掘調査は昭和42年から開始されており、現在(平成19年)で40年目を迎える。
県としては120年計画で遺跡の発掘を勧めるとのことであるが、ものすごく遠大な計画である。

一乗谷から車で数分の場所にある一乗滝。高さは12mとなっているが、近くで見ると数値以上に大きく見える。佐々木小次郎が「燕返し」をあみだした滝とされており、付近も「小次郎の里」というキャンプ場になっている。


 説明板

佐々木小次郎の像。 宮本武蔵関係には全く興味がないので、これだけの為に写真を撮影する。


一乗谷は、キャンデーのつつみ紙のように、谷の最も狭い二箇所に城門を築いて防衛されていた。その城門が「上城戸」・「下城戸」とよばれており、この間が城戸内と呼ばれる。写真は上城戸の土塁。長さ100m、幅10m、高さ12mと巨大なもので、外側には堀も掘られていた。現在は長さが半分程になってしまい、堀も浅く分かりにくくなってしまっている。

上城戸の説明板。下城戸に比べると説明が簡素なだけでなく、肝心の説明板も消えかけている。現在は国道、駅に近く、「表」となっている下城戸ほど観光客も流れてこないのが理由かもしれないが、もう少し整備が必要だと思う。

上城戸の土塁上を撮影。結果論として信長の侵攻を許したが、ここに立つとこの谷の防御性の高さを思い知らされる気がする。


下城戸方面へ移動。当時の道路が県道でつぶされている様子(?)が良く分かる。
このあたりの作り込みのセンスは抜群。


下城戸跡を外側から撮影。川に直接繋がった堀と枡形の石垣/土塁で防御されていた。


 パノラマ

こちらは内側から撮影した下城戸。巨石を用いて防御している。


 説明板
 説明板
 説明板
 説明板

土塁の外側の堀。説明板によると土塁の高さは4.5m、堀の幅は10mとなっている。現在は途切れてしまっているが、当時はこの堀がそのまま川に繋がっており、外堀の役目を果たしていたと考えられている。

下城戸近くの朝倉景鏡邸跡の説明板。下部分は破損してしまっており読解不可能。
朝倉家最後の当主義景はこの景鏡に裏切られて自刃しているので、コアな義景ファンにやられてしまったのだろうか?
どちらにしても故意でないことを祈りたい。

景鏡舘跡。朝倉家の親類衆で重臣でもあった景鏡の居館らしく、敷地も広く、下城戸を守る大事な位置に建てられていたようだ。

景鏡舘土塁跡。

更にその外側にある堀跡。義景の舘ほどではないが、規模の大きさは一乗谷で有数のものと思われる。

復元町並内で半押売状態で飲んだ抹茶。茶菓子には朝倉家の三ツ木瓜紋がついている。味は…共に普通…で価格は300円。
以前来た時には入口で餅が売られており、これはかなりうまかったが、今回は見られなかった。これは非常に残念。

前頁 福井県の城
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