一乗谷 その2

復元された紺屋。建物の中に大きな甕を持っているが、独立した寝間を持っていない。
ボランティアガイドのおじさん曰く、個人的には住み込みではなく、通いだったのではとのこと。


 説明板

以前訪れた時は、ロープも張っておらず、人形も置かれていた。いたずらが多い為の措置だとしたら非常に哀しいことである。


写真は前回訪問時のもの。

紺屋の庭の便所。なぜか有力者の家の庭にある便所より豪華。いかにも雪隠という感じの便所。

商屋の軒先。中の人形が結構不気味。

商屋内部。積極的な商魂ポーズがかえって購入意欲を削いでいるような気もする。
数年前に訪れた時には、硯の右横に紐を通した銅銭が置かれていたのだが、盗難にあったようで今は置かれていない。


 説明板

納戸の入口からこちらを「恥ずかしそうに(説明文ママ)」眺める子供。お母さんも不気味だが、この子供は数倍不気味。正直、夜の見回りはしたくないと思った。


「復原武家屋敷」説明板より。


「復原武家屋敷主殿」説明板より。

復元武家屋敷の主殿で客と将棋をうつ武士の人形。一乗谷からは将棋の駒が数多く出土している。その中には現在では使用されていない駒もあり、将棋の歴史を紐解く上でも非常に有効なものであった。

復元町並の中で唯一復元されている武家屋敷。一辺30mの敷地の中に、主殿・離座敷・板蔵・納屋等が建てられていた。
室内には町屋で見られない畳敷が見られる。

台所で鯛を調理する使用人。山あいの谷に伸びる一乗谷ではあるが、魚介類の骨も多く出土している。


主殿に接して築かれた離れ座敷。茶室として使用されていたらしい。

 
復元武家屋敷の化粧壁。町屋と異なり、柱にはヒノキが用い、仕上げもカンナを用いた丁寧な仕上げとなっている。

 
町屋と通りを面して建てられていた武家屋敷跡。門と土塀は復原されているが、建造物は復原されていない。礎石や通路の位置は復原されているので、建造物の配置等は知ることができる。
文献からも朝倉家の有力家臣の屋敷跡と見られている。
ボランティアガイド曰く、通りの西側(武家屋敷側)は一乗谷滅亡後、土の埋まり方が浅かったので、復原しにくいとのことだった。ただし、田んぼではなく、あぜ道として使用されていたため、石垣などが取り払われておらず、良好な状態で保存されていたとのこと。

武家屋敷跡。建造物は建てられていないが、その敷地の広さから豪勢な屋敷が想像できる。


「武家屋敷」説明板より。
この屋敷は、敷地間口(南北)約60mと基本単位の2倍であり、奥行き(東西)も70mを越え、周辺の大規模な屋敷群の中でも最大の大きさを持っています。屋敷の正面は、現在復原されているように、石垣の基礎部を持つ土塀と考えられます。南隣の屋敷境も同様です。これに対し、北の境は奥に大きな盛り土が残されていたことから、土塁と考えられます。門は、屋敷の南寄りに設けられており、その正面には大きな石を配置し、白い砂利を敷いた庭園も造られていました。建物の多くは削られていたため詳しいことは明らかでありませんが、山裾近くに比較的良く整った建物があったこと、北には石を敷き廻し、土台を巡らす蔵や内部に鋳造炉を持つ掘立柱の工房があったこと等が明らかとなっています。こうしたことから、このような大規模な屋敷の中には職人が抱えられていた事も明らかとなりました。また、この一乗谷では例の少ない竃跡も検出されています。

門のすぐ右脇に残されている石積施設。
素人考えだと、水でも溜めていたように思われるのだが。

四本柱を使用した門。このあたりも身分が高かったと思われる由縁。

ブルーメタリックなグラデーション尻尾を持つトカゲ。

休憩所に置かれている復原町並部分のジオラマ。
町並散策とセットにすると、当時の雰囲気が掴み易い。

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