一乗谷 その1 

一乗谷朝倉氏遺跡資料館。遺跡からの出土品や朝倉氏についての展示が豊富。

展示してあった、一乗谷のジオラマ。山に囲まれた城郭都市っぷりがよく分かる展示。


 説明板
 説明板

出土した陶磁の品々。明からの輸入品である白磁・青磁製のものも多く、当時の一乗谷の文化の高さが証明された。

小太刀、鍔、鉄砲の部品、弾丸等の出土も多い。城下町では鍛冶屋とみられる遺構も発掘されており、ここからは多くの金属製の出土品が出た。


一乗谷のメインの一つ、復原町並。
発掘された遺構から当時の町並みを200mに渡って復原したもので、発掘の資料に基づいて非常に丁寧に復原されている。一乗谷遺跡から瓦が発掘されていないことから、当時の建物は瓦を用いず、板葺であったと考えられいる。復原された建造物も板葺。


 パノラマ

復原されている通りの幅は約6m、60m毎に幅8mの通りと交差する。
写真はその交差する8m幅通路。奥は県道を挟んで、朝倉館がある。

8m通路と交差(正式にはT字)する、6m通路の壁。
8m通路が突き当たる壁の下部に用いられている石は、通常のものより大きくなっており、朝倉館の方から見て見栄えがよくなるようになっているとのこと。

復原された「有力者の家」。他の町屋と比較して1.5倍の間口を持つこと、建物の内と外に井戸があることなどから、有力者の家と推測され、そのように復原された。
置かれている人形はグレー一色のマネキン。不必要に表情等がないので、変な先入観がなくイメージできる。


 説明板

建物の内側の井戸。現在も水をたたえている。

奥にある納戸、寝間でもある。寝具の他、鎧等も置かれている。

 
有力者の家の庭の便所。穴に板を渡しただけのもので、有力者の割にはなぜか簡素。

復原された中には、人形も何もおかれていない町屋もある。資材置場になってしまっているものもあり、その点は少々残念。

町屋群。梁が屋根の中心を支える建築方法。突き上げ窓が多く使われている。

鑓鉋(やりかんな)、手斧(ちょうな)を用いて加工された柱。復原に際して、非常に手間隙がかけられている。
武家屋敷の柱にヒノキが用いられているのに対し、町屋の柱は栗の木が用いられている。

町屋前の排水路。

復原された町屋で見られる石置板葺。長年使ってると木が傷んで、頭の上に落ちてくるのではないだろうかと、いらない心配をしてしまう。

福井県の城次頁
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