高知城 その4 




大手門。枡形となっており、三方向からの攻撃が可能となっている。


 パノラマ

大手門石垣の刻印「ヱ」の文字は発見したが、同じくパンフレットに記載されている「ウ」は見つけることができなかった。

戦前に建てられた城碑。当時は国宝であったのでその旨の記載があるが、現在は重文指定。

大手門から再度城内に入る。桜のシーズンを前にイベントで使用するのか、屋台にするのか、たくさんの小屋が急ピッチで築かれていた。

大手門多聞櫓脇戸付近を撮影。
一豊の築いた時は大門と称していたが、1663年に崩壊、翌年に再建された。1747年に大手門と改称、1801年に改修工事をうけて現在に至っている。


基本的に石垣は野面で詰まれてある高知城だが、大手門は切石が詰まれている。

大手門内部から撮影。太い梁と柱、重厚な扉。

  


築城者である土佐藩初代藩主山内一豊像。自分はこの人物に保守的で出世好きというサラリーマンのようなイメージしか持っていないのだが、像はかっこいい。馬を良く見ると、瞳孔は開き気味で鼻脇に筋を立てているのが妙に気になる。

クラーク博士と間違えてしまうが、板倉退助の像。名言「板垣死すとも自由は死せじ」の碑も建っている。

本丸から西、搦手口方面に向かうと御台所屋敷跡がある。実際どのような建造物があったかは現在の所不明であるが、多くの遺構と出土品が発見されている。
写真は残っていたものから復元された石垣。
北側(左)は崩壊が激しく、復元部分が多いが、南(右)側は現存の石垣が多い。


現在発掘調査中。

御台所屋敷跡石垣南側。下部3分の2ほどは現存石垣。


 説明板
 説明板

御台所屋敷跡東側。本丸に近い側。写真で見ると羊の群れに見えるが、復元工事で出番を待つ石。

御台所屋敷跡付近から撮影した、本丸黒鉄門。こうしてみるとあらためて堅固な城だなと思える。

城内で最も広い、三ノ丸。当時は大書院等が建てられていた。維新後は藩知事府や藩庁等に用いられたが、藩庁が致道館に移ると取り壊された。
現在は桜が植えられていて市民の憩いの場となっている…らしいが、この場所取りのブルーシートはいただけない。場所取りは午後から、かつ、人がいないといけないんだぞ。

搦手口。現在は役所関係の人が多く見られるだけで観光客はあまり見られなかった。

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