高知城 その3 

波の透彫欄間。土佐の黒潮をかたどったものと説明されていた。

東多聞櫓内部。何の装飾もされていないが、無骨でいい雰囲気だった。隅に石落としが設けられている。

東多聞櫓の窓から外を臨む。正面が西多聞櫓、右側が廊下門。

廊下門の階上内部。土佐藩についての説明パネルが展示されていた。正面奥に幕末の土佐藩著名人が紹介されている。かすかに見えているのが武市半平太、この写真で分かるのであれば立派な武市マニア。

天守閣下部の石落としと忍び返し。一豊が築いた天守閣は1727年の大火で燃えてしまったが、その後の天守閣も初代建造当時の様式で建造されたため、このような防御装備が設けられている。

杉の段から二ノ丸三ノ丸方面への途中にある鉄門跡。門扉に鉄の小片が打ち込んであったのでこの名がつけられている。現在建造物は残っていないが、打込ハギで積まれた立派な石垣と枡形にその名残を留めている。

本丸西側の獅子の段から撮影した本丸石垣。天守閣や御殿のイメージが強く、あまり石垣の印象が残りにくい城だが、こうしてみると立派な石垣を持っている。

杉の段から撮影した天守閣。なかなか迫力があった。

「賢妻」・「内助の功」の代名詞でもある山内一豊の妻、「千代」と名馬の像。
鏡の中に仕込んであったヘソクリ十両で夫、一豊に名馬を買い与え、一豊は安土で行われた馬揃えで面目を保ったとの伝説が残る。戦前の教科書では女性のあるべき姿ということで掲載されていたらしい。

横から見ると結構腹が出ている。

馬はやはり「馬並」だった、つまり雄。

杉の段付近から撮影した天守閣。高さ18.5mの建造物で、一豊の旧城掛川城を模して建造された。入母屋、唐破風、千鳥破風で飾られている。

大手門を城内から撮影。石落としや狭間を持つ多聞櫓となっている。

大手門と天守閣が一度に写るベストショット場所から撮影。ただ結構人の往来が激しいので、人を写しこまずに撮影するには少々我慢を要する。

前頁 高知県の城次頁
///