小牧山城 その4 

城の西〜南西部分のあまり整備されていない地帯。堀や堀切等、遺構が豊富に残っている。写真は堀切。

城の西側に残る、「屋敷伝承地」。小牧山城が築かれるはるか昔、鎌倉時代からこの地に屋敷が存在した事を示す発掘品が出土している。
その後、信長時代にも屋敷が建造されたという伝承が残るが、建物の痕跡は見つかっていない。現在の遺構は家康が整備した時のものでまわりを土塁と堀が囲んでいる。

屋敷跡の西側の土塀に残る切れ目。出入り口があったのだろうか。人一人が通れる広さしかない。

狭い所があると入りたくなる性分なので通ってみた。写真は屋敷跡外側から屋敷跡方面を向いて撮影。土塀の高さとここの狭さが想像してもらえれば幸い。

屋敷跡の南側を撮影。土塀の切り込み部からここに入ってきた。


 屋敷跡パノラマ

堀切を斜面下方向から撮影。堀切を渡るための橋が見える。

土塁、堀、堀切等が豊富に残る西側。観光バスの専用駐車場近く。こちらもぜひ訪れる事をお勧め!

砲弾型の鎮魂碑、ここは城内の八幡神社。人の気配はなく、朱印はもらえそうにない。

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