小牧山城 その2 

模擬天守内部。撮影禁止の為、これ以上は撮影できなかった。しかしなぜ撮影禁止なのだろう…?

撮影禁止ではない最上階。非常に典型的な造りとなっていて、壁には全国の城紹介がされている。

名古屋方面を撮影。右手奥が名古屋駅前のツインタワー。左手が1億円マンション。ずっと左に名古屋空港があり飛行機が頻繁に離発着している。というか少々うるさい。

秀吉は対小牧山としていくつかの砦を築いたが、家康も戦線を維持するためにまたいくつかの砦を築いた。その一つ宇田津砦跡。天守閣内でこれら砦の説明がされている。

秀吉方の日根野弘就が城主を務めた二重堀砦跡。こうして見ると小牧山の高さはわずか80数mとは言え、戦線に非常に有利だなと思える。

最上階から大手門(南)方面を撮影。中途半端に紅葉が綺麗だった。

天守閣の麓に残る信長時代の石垣。削平地以外の現在残っている遺構のほとんどは家康による改修後のものなので、信長時代のものを見ることができて満足。

天守閣裏にぽつんと三等三角点が鎮座。確かに撰点地としてはうってつけ。
近くで数人の小学生が弁当を食べていたが、全員マクドナルドの昼食だったのには若干ショック。

天守閣裏から搦手口の方へ降りる。こちらは大手道と違ってかなりくねくね道。大手道は現存する当時の道だがこちらは整備後に作られた道らしい。

搦手に向かって降りていく。あちこちで削平地を見ることができるが少々飽きた。

幅の広い整備された道を下っていき搦手口に到着。大手よりこちらの方が整備が進んでいて駐車場もある。ちなみにここは虎口跡となっているらしいのだが、よく分からなかった。

大手口には存在しない碑が搦手口にはどんと居座っている。知らないとこちらが大手かなと思ってしまうかも。

城の周囲を高さ3m程の土塁が囲っているのだが、その土塁沿い時計まわりに歩いていくといくつかの遺構が分かりやすく展示してある。
信長時代の小牧山城にはこのような城を囲う土塁は無く、家康時代に整備されたもの。その土塁のカットモデルがこれ。土の層の違いでどのように土塁が整備されたかが説明してある。


 カットモデル説明
 説明板

さらに時計回りに進んで行くと復元された井戸が展示されている。地面に説明板が埋め込んであって、それを読んでいたのだが、知らない人から見ると少々怖い。
男が一人、地面を凝視していたと思ったら、いきなり写真を撮りだすわけだし…。自分ならそんな男は避けて通りたいね。


 人を怪しく見せる説明板1
 人を怪しく見せる説明板2
 普通の説明板

搦手口から東側にかけては緑地としても整備されており、たくさんの家族連れがサッカーやキャッチボールをしていた。目があった子供に手を振ってみたがほとんど無視されたのは少々いただけないけど。
ちなみに写真右下の地面に埋め込んであるのが説明板。

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