津城 その1

説明板の縄張図。
南部の岩田川は往時とほぼ同じ流れであるが、外堀は全て、内堀も西・北側を除いて埋め立てられいる。


本丸:
南側に天守台・小天守台が残る。
1662年の大火で天守が焼失して以来再建されることなく維新を迎えた。
その他、五棟の櫓(戌亥・丑寅・月見・太鼓・伊賀)が建てられており、戌亥・丑寅は三層櫓であった。これらの櫓は多聞櫓で連絡していたが、いずれも明治に入って破却され、現存しない。


西ノ丸:
西ノ丸角櫓(玉櫓)が建てられていたが現存しない。虎口は枡形を形成しており、二層の櫓門が築かれたとされる。


東ノ丸:
櫓は建てられず、虎口も枡形となっていない。説明板によるとお宮さんがあったとされる。


二ノ丸(内堀と外堀の間):
12の単層櫓が築かれた。現在は役所や道路となっており、旧状を留めていない。


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現在の津城周辺地図。
境部分に石垣などは見られるが、曲輪間の堀は埋め立てられ、独立性は無くなってしまっている。

内堀に面した西ノ丸角櫓跡。



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内堀。
左に西ノ丸、奥に本丸の石垣が見える。往時は向かって右側の石垣は無く、南に向かって堀が伸びていたが、現在は埋め立てられてしまっている。

西ノ丸虎口。
往時は冠木門があったとされる。

西ノ丸の石垣。
石垣下の犬走りは往時のものではない。

西ノ丸虎口。
枡形を形成している。

枡形を城内部から撮影。
写真左右の石垣をまたいで二層の櫓門があったとされるが、これも現存しない。

西ノ丸内部から櫓門方面を撮影。

石垣に登る石段。
滑りやすいが、登ることができる。

埋まってしまっている井戸跡。

市の指定史跡である入徳門。
1820年に創設した藩校「有造館」講堂正門。1871年の廃校後、師範学校や中学校の正門として使用され、戦後は図書館の正門となっていた。図書館移築後、数回の移転を繰り返し1971年にこの地に建て替えられた。

何やら波らしき形状を示す鬼瓦。
藤堂家の家紋「蔦」も見られる。

櫓門の建っていた石垣から城外を撮影。枡形になっているのが分かる。

西ノ丸は現在日本庭園として整備されているが、往時は倉庫などが建てられていた。

三重県の城次頁
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