備中松山城 その3

天守一階。
天守の構造や修理などについての説明板あり。ありきたりな鎧や刀の展示で、必要以上に場所が割かれていないのはありがたい。

二階へ登る階段の途中から撮影した一階。上とほぼ同方向を撮影。奥の数段上がった部屋は「装束の間」。

唐破風出格子を内側から撮影。
格子が斜めに配置してあるため、外から中は見えにくく、中から外は見えるというもの。広い角度で攻撃が行なえる。
アクリル板で囲いがしてあり、窓のすぐ近くにはいけないようになっていた。

天守一階の囲炉裏跡。
天守内部に作られるのは珍しい。

天守一階、装束の間。
説明板によると、籠城時の城主一族の居室。床下には人が忍び込めないよう、石が入っているとのこと。


ビデオが見られるようになっていたが、この日は何もかかっていなかった。

装束の間の格子窓から外を見ると、こちらも重文指定されている二重櫓が見える。

急な角度の階段を登って天守二階へ。
特に展示物もなく、広さもそれほどではない。
北側には城の守護のため、多数の神を勧請し、宝剣を祀った御社壇がある。当然ながら現在は置かれていない。

天守二階窓から本丸〜二ノ丸方面を臨む。眼下には高梁盆地が広がる。
写真下部に見えるのは唐破風の屋根。

天守二階天井の梁。
それほど入り組んだ造りになっていない。

天守の狭く、急な階段。途中に踊り場が作られ、一気に登れないようになっている。
天守内部はそれほど防御という防御はあまり重視されていない。天守が建造されたのは、太平の世に入ってからであるし、そもそもここまでの強固な縄張を突破されているのであれば、多少の抵抗も焼石に水なのだろうし。

説明版に掲載されていた解体修理前の二重櫓の古写真。こちらもごらんの通りの崩壊寸前状態だった。

天守入口付近から本丸を見下ろす。

天守南東側に近い本丸東御門(復元)。見えている石段を登ると二重櫓へ。

二重櫓へ向かう石段から本丸を撮影。
左下に写っているのが、本丸東御門。右端は天守へ登るための廊下に接続する石段。しつこいようだが、当時は八の平櫓があった場所。

天守の横を通り抜けて二重櫓へ向かう。写真は天守北東部分。石垣が上がっている部分は装束の間。板張部分に鉄砲狭間が見られる。

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