クリックすると詳細が見られます北ノ庄城
福井市中央1丁目
築城/廃城年  1575年/1601年?
築城者 柴田勝家
1575年織田家家臣柴田勝家は朝倉氏滅亡後も力を持っていた一向一揆を滅ぼした功績から越前八郡49万石を与えられた。勝家は足羽川と吉野川の合流点近くに築城を開始、以後も改修を重ね、拡張を続けていった。
1581年布教活動の為にこの地を訪れた ルイス・フロイス、1583年勝家を破った秀吉の書状にこの城のことが記されている。
此城は甚だ立派で今大きな工事をして居り…」(フロイス)
城中に石蔵を高く築き、天主を九重に上候…」(秀吉)


1582年信長が本能寺の変で斃れると、勝家は信長の覇権後継を羽柴秀吉と争ったが、翌年賤ヶ岳の戦いで大敗した。秀吉の追撃を受けた勝家は、苦心を重ねて築いたこの城に火を放ち自刃した。
城はこの時灰塵と帰したが、その後も改修されたようで、丹羽氏、堀氏、青木氏が短い期間であるが城主となっている。


1601年、この地を領した結城秀康によって、新城が築かれた際に組み込まれ廃城となったと思われる。