松代城(海津城) その2


北不明門内部をパノラマ撮影。
枡形の典型ともいえる、外側:高麗門、内側:櫓門のパターン。


拡大写真

城外側から撮影した櫓門。一階部分を石垣で挟まない(袖石垣を持たない)形式。攻撃、偵察の為の格子窓が見られる。名の通り、通常は用いられなかったようだ。

城内側から撮影した櫓門。内側には格子窓は見られない。

櫓門二階へ登る為の石段もきれいに復元されている。

本丸。
建造物はなく、公園のような雰囲気。

本丸内部に立てられている城碑。松代城ではなく、海津城。

本丸内部から撮影した戌亥隅櫓台。階段が設けられており、上に上がることができる。手前と奥の石垣の積み方の違いに注目。

真田宝物館ジオラマ、戌亥隅櫓台部分。この城には天守というものは建造されなかったが、それに代わる実質的な天守がこの戌亥隅櫓だったようだ。

戌亥隅櫓台に登って撮影。ベンチが置かれているだけで、特に説明板らしきものはなかった。

かすかに弧を描く戌亥隅櫓の石垣。
別の場所にあった石垣の説明板。

戌亥隅櫓台から本丸内部を臨む。奥に見えているのは太鼓門の屋根。下の写真は本丸御殿跡で発掘された井戸跡。
以下本丸御殿跡説明文。
「本丸内には、江戸時代中頃まで政庁や藩主の住居のための御殿がありました。調査では、建物礎石や井戸跡、焼けた土壁など、享保2(1717)年の火災で焼失した御殿の痕跡が多数見つかっています。
しかし度重なる水害の影響により、明和7(1770)年に城の南西に位置した花の丸に御殿を移しました。」

同じく戌亥隅櫓台から本丸北外側を撮影。きれいに復元された城内を見ることができる。

戌亥隅櫓台から二ノ丸を撮影。見えている建物はトイレ・自動販売機を備えた休憩所。櫓台から二ノ丸外側を土塁が囲み、本丸と二ノ割を分ける堀が見られる。

本丸から撮影した戌亥隅櫓台。高さは4mほど?であまり高い石垣ではない。

本丸石垣に見られる合坂。江戸時代の兵法書では兵が滞るのでよくない例として記載されているが、あちこちの城で見かける。メリットがあるのだろう。

東不明門。
こちらにも礎石が残されており、建造物があったようだが復元されていない。

復元された東不明門外側の橋。折れた橋脚跡も復元の際の材料となっている。

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