大給城 その1



大給城縄張図(現地説明板一部抜粋)
城の東西には、尾根つだいに攻めてくる敵の侵入を防ぐために、堀切A・Bを設けている。東側からの侵入路を通ると、門や櫓などで防御された虎口(入口)Cを抜け、曲輪2を経て主郭1へと至る。城内のいたる所には花崗岩の巨石が見られ、主要な部分は石垣で固められている。Fは物見岩と呼ばれ、ここからは尾張の国をはじめ遠く鈴鹿の山々を望むことができる。岩上には一辺数センチの穴が並んでいるが、いつ何のために開けられたかは不明である。D・Eは石垣を駆使して谷に設けられた大規模な取水施設である。主郭1から南に下ったところにある3は城主の館跡と考えられる。

豊田市から国道301号を東に向かって約8km走ると右側に見える大給城の看板。
ここからきつい急坂を登って行く。

道はどんどん細くなり、しばらく走ると、右側に登山口のような階段と小さな「大給城」の看板がある。道が少しだけ広くなっているので邪魔にならないように駐車していざ登城。

どんどん登る。
国道沿いの看板からすると結構整備された碑だけの公園城というイメージであったが、どうやら自分の考えが甘かったことを知らされる。

坂の突き当たりで道は左右に分岐、すぐ右側に見える、大給松平家初代乗元の墓。

ぽつねーんと寂しそうな墓。これで荒れ果てた感じの墓だったら詳細訪問記は書かれていない。

分岐を左にしばらく歩く。とにかくすごい蚊の集団。ファインダーを左目でのぞいて、右目をつむっていたら右瞼を刺された。
マニアックな場所を刺す蚊が多いのが特徴。

少し広い場所に到着。(地図あ地点)
縄張図、説明板、城碑がある。国指定史跡だとは知らなかった。ちょっと得した気分だったが、マニアックな蚊が多いので、喜び半減。

堀切(地図A地点)。
城の侵入路に当たる東側を切り離す大きな役割を持つ。

堀切を渡ってすぐの最初の虎口(地図C1地点)。この辺りから巨岩(説明板によると花崗岩)がゴロゴロしだす。この虎口も両側を巨石で囲み、ある意味石垣状態。

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