岐阜城 その3 

こちらは岐阜公園内にある井戸。平成11年の発掘調査の際に発見されたものを復元した。


 説明板

信長・信忠親子の廟所である崇福寺。この寺の三代目住職は快川和尚。武田信玄に招かれ、武田家菩提寺である恵林寺の住職となり、武田家滅亡後、残党をかくまって逃亡させたということで織田信忠に生きたまま焼かれた人である。
このあたりは歴史の皮肉を感じさせる。


 説明板

崇福寺の天井板は岐阜城の床板を使用したもので落城の際の死傷者した武士の血が残っていて、よく見ると鎧の跡等も見ることができる。

本尊近くに展示されている束帯姿の信長画像。あまり大きなものではないので一杯に望遠してぶれてしまった。

位牌堂。信長・信忠親子の位牌が安置されている。

本堂裏の信長・信忠父子廟。縦に両分され、右が信長、左が信忠の法名が刻まれている。

廟の拡大写真。右が信長の法名「総見院殿贈一品大相國泰厳大居士」、左が信忠の法名「大雲院殿三品羽林高岩大禅定門」。
かなり読みにくい。


今回の岐阜城見学は体調不良もあって満足できるものでは無かったので再度リベンジを図りたい。その際には山麓から徒歩で登って、山中の遺構も見てみたいと思う。

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