岐阜城 その1 

岐阜公園内にある「若き日の信長」像。できれば、腰に色々袋ぶら下げて、柿でもかぶりついているような像の方がイメージにあうのだがさすがにそれじゃあねぇ…。


なぜか清洲城にもこの像のミニチュア版が展示されていた。

信長居館跡の入口に建てられている冠木門。門に関する遺構は見つかっていないので場所、形状ともに史実に基づいていない。
説明板にも「雰囲気」と開き直って書かれている。

岐阜城本体よりも、この麓にある信長居館跡の方が興味深かった。
説明板によると、これら発掘された遺構の下層にもさらに古い時期の遺構が埋まっているらしい。


 説明板
 案内図

掘立柱建物跡。こちらも「雰囲気」を伝える為に掘立柱が建てられている。若干しょぼいが確かに雰囲気は伝わったような気がする。

下層の遺構。山側に登る階段状の遺構で、信長の入城以前のものとされている。とりあえず上部の遺構を剥がして、一部のみ展示されている。


 説明板

この居館跡のひとつの目玉でもある入角と出角。石垣を意識的に屈折させる事によって防御力を上げると共に石垣の崩壊を防いでいる。現在は石垣の段が一段のみ残存しているが、実際は山側にさらに高く詰まれていたらしい。


 説明板

入角・出角のすぐ近くに展示されている下層遺構。石垣築造時に埋められたもので、こちらも信長入城以前もものとみられている。
説明板によると、この下層遺構は高さ2mほどのものであるが上部1mのみ展示されているらしい。


崩壊した部分も多いようで元の石を使用しての復元が行われている。遺構調査の結果、幾度となく火災の跡が残されていたらしい。

信長居館跡の碑。金華山山頂へと登るロープウェイ駅からすぐ近くに建てられている。

水路石垣。穴太積の初期の形で組まれてるとの事であったが、何が初期の特長なのかまでは残念ながら不明。


 説明板

麓の信長居館跡を離れてロープウェイで山頂へ。本当はロープウェイを使わずに足で登っていくといくつかの遺構が見られるようだが、残念ながらその体力は無い。


自分は気圧が下がると体調が悪くなる性質があり、このしとしと雨が降る環境でどんどん体調が悪化していった。


写真は三ノ丸大手道に復元された「天下第一の門」。


 説明板

岐阜県の城次頁
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