田丸城 その1


現在の城内案内板。建造物はほとんど残っておらず、三ノ丸は中学校になってしまっているが、堀や本丸・ニノ丸などの主郭部分の縄張は良く残っている。


江戸中期の縄張図。上の現在の縄張図と比較しながら見学すると面白い。

玉城町役場近くに残る内堀。

車を玉城町役場の駐車場に停め、城内へ。脇に見える説明板は城の略史が記載されている。

城碑と江戸中期の縄張図。

逆光で分かりにくいが、内堀を渡ったところにあるニノ門跡。門付近は道が屈曲している。

中学校を左手に見ながら小高い丘を登っていく。

八箇所あった門のうちの一つ、富士見門。維新後個人宅に売却されたが、昭和59年町が譲り受けて移築復元したもの。
当時置かれていた場所(三ノ丸…現在の中学校校庭)への移築ではない。また当時は門の両脇に侍溜が作られていたらしいが、移築の際に片方が取り払われてしまっている。そのあたりは屋根の形状にその痕跡をみることができる。

江戸中期縄張図の主郭部分アップ。この部分を頭に入れておくと見学しやすい。

山の形に添って段階状に組み上げられた石垣は下から見てなかなかの迫力。期待以上の景観。

三ノ丸跡に建つ玉城中学校。
当時は奥御殿などが建てられていたらしい。
城跡にある中学校に通えるなど、羨ましい限り。

本丸虎口。以下説明板より抜粋。
「ここから続く通路は平成14年度田丸城跡遊歩道整備工事に伴う発掘調査で確認されたものである。石垣、門や建物の礎石、石組の側溝と石列があり、出土した瓦や土師器(はじき)片などから江戸時代のものであると考えられる。
これらのうち、礎石建物や石垣は宝暦年間(1751〜1764)の古図とも一致している。」

虎口から内郭を撮影、屈曲した道と奥へ続く石垣、なにやら得した感じにさせてくれる城だった。

門の礎石などの説明板。以下抜粋。
「発掘調査では、宝暦年間(1751〜1764)の古図にはみられない門の礎石や石列が発見された。これらは土層の状況から、宝暦年間より古い時代のものと考えられる。
宝暦年間以後の遺構を立体的に表示し、それより古い門の礎石や石列は切石により平面的に表示している。」

上の発掘時の写真に近づけて撮影した門。石段などが遊歩道用に整備されてしまっているのが残念ではあるが、門跡の雰囲気はよく残している。

内側から撮影した門。

本丸跡。
天守台しかないと思っていたが、なにやら工事が行われていた。

天守台を照らすライト。安価に緑色にライトアップしたいらしく、その一番考えうる方法を用いている。

本丸から西側を臨む。小高い本丸からの展望は良好。

三重県の城次頁
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