高松城 その1 




丸亀城ほど頑張っていないが、せっかくの海城なので高松城の縄張図書いてみた。城の北側はすぐに海で堀の水も海水を引いたもの。現在城の北側は埋め立てられており、すぐに海というわけではないが、堀の水はやはり海水。潮の満ち引きで水位も変わるようだ。


カーソルを合わせると現在の城の様子が見られます(書き足しなので結構いい加減)

琴平電鉄の高松築港駅を降りるとそこはすぐ高松城。現在は「玉藻公園」として市民の憩いの場所となっている…と言いたい所だが、有料。
写真は城の西側薬園跡。現在は西側の堀も
埋め立てられている。

二ノ丸跡。特に何があるというわけではない。

二ノ丸・三ノ丸の間の黒鉄門跡。櫓台跡こそ残るが門としての威風は既にない。

二ノ丸・三ノ丸の間には水門があり、海水を掘に取り入れていた。現在も城の北側を通る国道の下から海水を取り入れている為、潮位によって堀の水位は変化し、海水魚が堀の中を泳いでいる。
写真は南側の天守台方面を臨む。

水門。さすがに舐めてみる気にはならないが、潮の香りが濃厚なので海水なのは良く分かる。

何の魚か分からないがいかにも海水魚っぽい魚。ボラっぽい魚も見た。
ちなみに祖父健在時の昔、我が家では刺身と言えば祖父が釣って来る「ボラ」だった。普通ボラを刺身では食べない事を知ったのはかなり後になってからだった。
説明板によるとスズキやタイもいるらしい。

三ノ丸内苑御庭。この先に藩主居館を改修して建造された被雲閣が建っている。この日はなにやら茶会っぽい催しが行われていた。時間が無かったので被雲閣の写真は撮らなかった。

北側から撮影した渡櫓・水手御門・続櫓。写真の更に右側に月見櫓が建っている。

丸亀城でも見た薬医門形式の水手御門。当時はこの外側がすぐ海であったため、藩主の乗船等もここから行われた。

共に現存で重文指定の続櫓と月見櫓。松平氏入封後の1676年に建造された。
月見櫓は「着見櫓」とも呼ばれ、三層三階総塗込の櫓で水門の監視を行っていた。櫓としては規模の大きいものであり、現存天守閣で最小の丸亀城天守閣と比べてもこちらの方が大きいのではないだろうか。実際写真だけ見れば天守閣としての存在感がある。
現在中に入ることはできないのが残念。

何か妙に継ぎ足しっぽい石垣。

西側から見た月見櫓。切妻破風と唐破風が見られる。内部は一階から三階の屋根裏まで四本の通し柱が通してあるそうだ。

西南方向から見た月見櫓。屋根が大きく軒先(?)の広がりも大きい、これで櫓としては風格があるように見えるのだろうか。

入母屋造りの続櫓。ここからも月見櫓に入ることができる。

西側(城の外側)から撮影した水手御門。かつてはこの写真を撮った場所も海だったのだが、現在は埋め立てられてしまっている。
城の外側に面しているので狭間や石落としがつくられている。

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