安祥城 その2

三の丸跡。現在は歴史博物館が建てられている裏手にあたる。本丸、二の丸と異なり平坦な地面となっている。

三の丸にあった像。安城だけに「安寿と厨子王」かなとも思ったが多分違うだろう…。

戻って本丸大乗寺裏手の本多忠高の墓。本多忠高は徳川四天王で有名な忠勝の父親。小豆坂の戦いで戦死した。この頃の松平家家臣は今川家の先方衆として、戦の度に多大なる被害を受けていた。

 説明板

二の丸北端にある「姫塚」。安祥城攻防戦で亡くなった女性を葬った塚だと言われている。説明板が無ければちょっと目に付かないだろう。

三の丸北西方面。芝生の広場となっており、水場もある事から家族連れが何組かいた。右端には何やら大きな建造物が建てられていた。
全体縄張図で赤い矢印6の方面を向いて撮影。

安城市歴史博物館。この時は一階の特別展では「日本の三大七夕」が開かれていた。市が金持ちらしいのでこの博物館も結構立派なものだった。
入場料400円、入場は9〜16時30分まで。

歴史博物館内の松平清康像。家康の祖父、若くして家督をついだが、家臣をよくまとめて松平家の最盛期を築いた。守山崩れで殺害される。




三の丸北西方面のパノラマ。右側に見えているのが建築中の建造物。
水場も多く、結構たくさんの家族連れや子供達が訪れていた。もちろん公園としてではあるが。

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