末森城 その2

曲輪を隔てる空堀跡。写真だと分かりにくいが、よく形状を残している。

奥の車が停めてある部分は堀の形状が若干崩れているようではあるが、高低差が分かる堀を探して本丸北西部から撮影。

本丸と北側曲輪の間の土橋状部分の堀。橋を渡ると本丸外側の帯曲輪に繋がっている。

本丸南西部の二ノ丸方面を撮影。昭和初期に建てられた昭和塾堂が残っているのだが、木が生い茂っていて全体が撮影できない。

昭和塾堂部分はフェンスに鍵がかかっており、敷地内に入ることはできなかった。
写真はフェンスに張り付いて撮影した昭和塾堂。上から見ると漢字の「人」の形になっているのだが少々分かりにくい。



こちらはGoogle航空写真のアップ。
「人」というより、「三ツ矢」という感じだ。

将棋の駒型の昭和塾堂の説明板。
地図や資料だと愛知学院大学の大学院施設になっているのだが、この説明板によると八幡宮の施設とある。

日本っぽいというか、中国っぽいというか、インドっぽいというか…。何ともいえない味わいのある建物。できれば中を見せてほしいものだ。

本丸と東側の帯曲輪の間を隔てる空堀。
境内案内図だと「文坂」とある箇所。

北側を向いて撮影。
左側は空堀、右側は崖となっている。

振り向いて南側を向いて撮影。
右が空堀、左が崖。

北側曲輪に戻って外側フェンスを撮影。有刺鉄線以上に痛そうなトゲ装備。
忍び返しみたいだった。

本丸北側から本丸南側を撮影。

本丸南側の鳥居をくぐって、第一の鳥居方面へ。写真は展望台付近の鳥居で第一の鳥居ではない。

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