末森城 その1

目的の末森城は幹線道路の広小路通から北へ100m少々、こんもりと木の茂る小高い丘。標高40mほどの平山城である。

現在城山八幡宮となっている末森城跡。第一の鳥居は太平洋戦争中の空襲による爆撃の跡が残っている。

右側の石柱は爆撃の被害が特に大きかったため建て替えられたもの。
元の石柱も境内に残っている。

爆撃の傷を修復した跡。
向かって右側に爆弾が落ちたらしく、脚も右側の傷が大きい。

第一の鳥居の脚の裏側。
水野さん一族、フィーバー。

現在駐車場となっている本丸跡。奥に見えるのが本殿。本殿手前の門の辺りに丸馬出があったらしいのだが、確認できなかった。

本丸跡にある鳥居の裏には「雑賀孫市」の名。戦国時代の有名な雑賀孫市と同名。
本名なのかペンネームなのか分からないが、信長を苦しめた孫市の名が信長の父が築いた城跡に建つ神社に刻まれているというのが何となく意味ありげである。

城の説明板。
周辺は住宅及び市街地であり、そうした環境の中で確かによく遺構を残している城跡だと言える。

本丸跡の城址碑。
傾いているように写ってるが、傾いていたのは自分のカメラ。


八幡宮の境内案内板。
空堀跡や本丸跡などの記載もあるので城目当てで来た人にも結構分かりやすい。
中央部が本丸、左下が二ノ丸跡、名称は分からないが本殿のある場所も曲輪跡となっている。

Googleの航空写真と縄張図を適当に組み合わせたもの。かなりいい加減なので「こんな感じ」ということで見てもらえれば幸い。

本丸南東部に建つ殉国碑・忠魂碑。
明治期から地域の小学校の校庭に建てられていたものを、昭和21年に維持管理と地域の戦病死軍人の顕彰を目的として移転したものとある。


鳥居は昭和62年忠魂碑移設40年を記念して建てられた靖国神社遥拝鳥居。

十山字錨。
明治期に造られた大型艦艇停泊用の錨。海上自衛隊より払い下げられ、昭和61年に平和のシンボルとして、海で戦没した軍人・軍属の霊代としてこの神社に設置された。

本丸北側の曲輪跡に建てられている本殿。それほど大きくはないが、なかなか立派。
周りは堀で囲まれており、意識すると曲輪の状態がよく分かる。

この日は七五三だったので、結構な人だかりだった。


一人で一眼持ってブラブラしていると、シャッター押しを頼まれる。押してあげると次の人がすぐ頼んでくる、これでもかというぐらい頼んでくる。
連続になると非常に面倒なのだが、気が弱いので満面の笑顔で快諾し続けた。

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