福井城 その1

城の南側から入城。
往時ならここに来るまでいくつかの堀と門を越えてこなければいけないのだが、市街地化してしまった現在、この堀と石垣くらいしか城らしい姿を見ることはできない。

説明板、右が北側。上の写真は左側(南側)から撮影している。大正末期に県庁が城内に建てられており、官庁街(?)となっている。

城内に入ってすぐ目に入った、雁木坂。角度が急で危険なので通行禁止。どこの城に行ってもだいたい通行禁止となっているが。

城碑より迫力のある「大本営行在所記念碑」。詳細は分からない。

大本営記念碑より迫力のない城碑。

大手門。
建物はおろか、枡形になっていた門の形状すら残していないが、石垣の上は散策路として整備されている。

散策路の案内図。歩道橋みたいな階段で石垣の上に登り、大手門脇の石垣まで散策できる。

散策路の様子。
天守台以外にこれといった見どころがないためか、それほど規模が大きくないこの散策路にも多くの観光客の姿が見られた。
かくいう自分もその一人。

散策路から城の南面の石垣を臨む。奥に巽三重櫓の櫓台が見える。


(画像にマウスを重ねると説明)

散策路にあった江戸時代の福井城地図。
上が南側。本丸を囲うようにいくつもの堀によって曲輪が形成されている。また、城の南西を流れる足羽川を天然の堀としている様子が見られる。


本丸南東(右上)部分の斜めに走っている堀は現在埋め立てられているが、それに沿った形で道路が走っている。

維新後取り壊される前の大手門古写真。
多聞櫓や櫓門が写っている。


同じく説明板の画像。現在多聞櫓や櫓門、枡形を形成する石垣は残っておらず、門の形状を想像するのは難しい。

散策路終点から、門の向かい側となる石垣部分を撮影。左が城外、右が城内側となる。
昭和30年代まで枡形は残っていたようだが、交通の邪魔になるということで取り壊された。

散策路終点から城内側を撮影。
右手の建物が県庁、左手が県警。右下に見えるのが初代藩主結城秀康像。

結城秀康像。
梅毒で鼻がもげてしまったため、鼻を隠す板をつけていて父家康に叱責されたという話も残っているが、像にはしっかり鼻がついていた。
まぁ県庁に置く像に鼻がなけりゃまずいわね。

見事な切込ハギの石垣だが、福井大地震により一部崩れたりしている。補強はしてあると思うのだが、こんな石垣下のベンチには座りたくない。
崩壊した石垣からは刻印が見つかっている。


天守台下の説明板に掲載されていた福井城天守。一階部分に屋根がなく二階建てになっていて四重五階の天守となっている。1669年の火災後、天守をを再建するために用意した図とのこと。

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