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名古屋市緑区有松町北桶狭間にある桶狭間古戦場公園。現在は子供達の遊び場となっている。 | |
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今川義元戦死の地碑。豊明市の古戦場にも戦死の地碑がある。 | |
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名古屋市の古戦場跡。そんなに広くない公園で、辺りは住宅街となっている。 義元の亡霊が蛍となって西方(京方面)に飛んでいく、義元の馬をつないだ枯れ木に触れると熱病にかかる等の伝説もある。 |
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古戦場であることを示す説明板。 以下記載事項。 「永禄三年(1560)五月十九日、織田信長二七歳の時わずか三千余の手勢を率いて折からの風雨に乗じ、二万五千余の今川勢の本陣を急襲し、義元を倒した。信長が天下統一の第一歩を踏み出した、有名な桶狭間の戦いの主戦場はこの附近一帯である。」 |
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狭い公園ではあるがたくさんの碑が立ち並ぶが、これらは近くに散らばっていた碑と移設したもの。 この碑は桶狭間古戦場田楽坪の碑。昭和八年に今川軍の先方となって戦った松井氏の子孫が建てたもの。 |
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桶狭間古戦場の碑。近くを流れていた鞍流瀬川(区画整理で現在は埋め立てられた)で発見された。 正面の「桶狭間古戦場」と裏面の年号以外は欠損していて何が書かれていたかは不明。 激戦地で発見されたこの碑がこの地での義元の戦死、もしくは主戦場となったのかを示すと思われるが詳細は不明。 |
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