松平館 その2

松平東照宮から高月院に向かう遊歩道を歩いていると、右側に天下茶屋入口の冠木門がある。
腹も減ったので、少々休憩。

天下茶屋。店の奥側が店内、手前側がカフェテリアっぽくなっている。
ここで抹茶と天下餅(でっかい団子3つを串に刺したもの。2つは甘辛いタレ、1つはアンコがのっている)を食べた。味は普通、まぁ雰囲気。

天下茶屋北側にある見初めの井戸の復元品。駐車場近くにあったものが豪雨で埋まってしまったので、ここに移設復元された。
井戸を移設したら井戸でないような気もしたが、お腹一杯で気分が良かったのでスルー。

池の中の遊歩道。
花が咲いていればさぞ綺麗だろうが、この時期ではただの湿地帯。

氷池跡。
明治20年から昭和16年まで、氷を作っていた池の跡。冬の間にできた氷を切り出して、山陰(やまかげ)に保管し、夏に岡崎方面に出荷したらしい。
こういう近世の遺構も生々しくて結構好きなのだ。

高月院方面を臨んで撮影。
人もまばらでいい雰囲気だった。これで紅葉していればいうことなしだったのだが。

遊歩道を東照宮方面に向いて撮影。道の脇にたてられている塀は室町塀。
雰囲気はあるが、意味は分からない。

高月院入口脇のとんぼ池。夏には日本一小さいハッチョウトンボも現れるらしい。
池にはわずかにメダカが泳いでいた。

高月院。1367年に足助次郎重宗(足助資料館のページで少し説明)の子重政が、松平信重の援助で建立した寺。もともとの名は「寂静寺」であったが、1377年に親氏が本尊・堂・塔を寄進して以来「高月院」と名を変えた。
江戸時代には松平家の菩提寺として厚い保護を受けた。

三代将軍家光によって建てられたとの伝承がある山門。高麗門となっている。

境内には家康が幼少の頃に植えたといわれるものの他、松平宗家17、18代、秩父宮、高松宮お手植えの松が見られる。
お手植え松好き。

こちらも家光が寄進したといわれる本堂。
屋根には「山」・「松」・「本」の文字。この寺が本松山高月院なので。

初代親氏、二代泰氏と四代親忠の妻の墓所。なぜ親忠の妻の墓があるかというと、親忠の子、つまり妻の子が高月院の住職だったので、自分の母を祖先が祀られている墓所に祀ったということらしい。

もちろん紋は葵。

本堂前から山門方面を臨む。ここも紅葉したら綺麗な景色になるだろう。

室町塀とモミジ。
しつこくなるのでもうやめておく。

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