松平館 その1

現在は松平東照宮の駐車場となっている桜馬場。説明板によると一周300mほどの馬場があり、平時馬の訓練をしたとある。
戦前までは東照宮四月の祭事の際、近隣から献馬され、祭りの広場として用いられたようだが、戦後になると馬の飼育されなくなったため、現在では駐車場となってしまっている。
写真は説明板に描かれていた維新頃の馬場。結構大きな看板なのだが、いかんせん素人絵となっているのが残念。

駐車場となっている桜馬場跡。日没前で参拝客は無し、こころなしか寂しそうな愛車。

駐車場から松平東照宮への道中で見られる「笠掛けのかえで」と「見初めの井戸」。
徳阿弥(後の松平親氏)が高月院に向かう最中、このかえでに笠を掛けて休んでいたところ、水姫(この地の領主有原信重の末娘)が井戸の水にあやめを添えて差し出したという故事にちなんだ場所。
かえでは健在であるが、井戸は昭和7年の水害で埋まってしまっており、復元されたものが天下茶屋近くに移設されている。

松平東照宮の石垣と堀。ここぐらいしか「城」として紹介する写真がない。

松平東照宮の社務所で鯉の餌が100円で売っていたので購入、王様気分に酔いしれる。

濠の奥の方から、餌をもとめてやってきた亀。鯉の餌粒がかなり大きいのでなかなか食べられないうちに鯉の体当たりを食らっていた。
ためしに亀の近くに餌を大量にばらまくと、ものすごい勢いで鯉のプランチャーをくらい、しまいには手足も吸われていた。
やっといて言うのも変だが、けなげで可哀想だった。

松平東照宮。餌をやっている間に社務所は終わってしまっていた。まだ3時半過ぎだったのだが…。

鳥居の手前に建てられている碑。

ここで一番楽しみにしていた資料館。案内板によると3時で終了するとのこと、つまり3時半を過ぎているこの時点では入れるわけもなかった。

東照宮北側にある産湯の井戸。家康も岡崎城で産まれた時にはこの井戸の水を竹筒におさめて届けられたらしい。
まわりをすっかり囲われて井戸の本体は見えず。

井戸の前に建てられているお堂。
時代劇のイメージそのままで妙に気に入ってしまった。

松平郷園地内の松平親氏像。手前の石柱は松平八代を示しているらしいが、言われなければ全く分からない。

松平親氏像。
意味ありげなポーズなので、見る人によって色々イメージの種類もあるかと思うが、自分の中で思い浮かんだセリフはオーソドックス。
「あれ出してよ、あれ」


小学生の時だったら、「君知らなかったの?魚肉ソーセージとハンバーグが別だってこと…」等のイメージもわくだろうが、三十過ぎるとなかなかそういうイメージはわいてこない。

恒例の後ろ姿撮影。
踵が浮いており、こちら側から受けるイメージは一言、「崖っぷち」。

親氏像近くの天下池。
この時期ではとても見られないが、アヤメが結構美しいらしい。

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