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上田城大手門。平成五年に復元された。門に向かって二つの櫓は維新後民間に払い下げられ遊郭となっていたものを上田市が買い戻したもの。 |
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上田城で移築もされずそのまま現存する西櫓。説明板によると当時は「西櫓」という名称もなく、倉庫として使っていたとある。 説明板 |
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本丸の石垣。しっかりした石垣でどうしても昌幸によるものと思われがちだが仙石氏時代の建造。 | ||
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水堀。川を引き入れたり、人工的な堀が配置されて真田家の戦略とともにこの城自体の堅城ぶりを見る事ができる。 | ||
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真田昌幸・幸村を主神とし、代々の藩主を祭神とする真田神社。当時は松平神社といったが維新後に真田神社となった。 | ||
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真田神社横にある真田井戸。城の井戸にありがちな抜け穴伝説を当然持っている。 説明板 |
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大手門横にある真田石。信之が沼田転封時に持っていこうとしたが微動だにしなかったと言われる。 説明板 |
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北櫓内部。いくつかの展示物に混じって、真田家の人形も鎮座する。 左から大助(信繁の子)、昌幸、信繁。 上田城では絶対にありえない光景(大助は九度山配流時に誕生)で九度山でのジオラマとも思えるが、そうなると服装がおかしい…。 江戸政権下ではほとんどの期間、仙石家・松平家が藩主であったのだが、人気の真田家の前には両家の存在感は非常に薄い。 |
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