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城の少し前にある城碑。
「中野城」とある。地図で日野町に「中野城」があるのは調べてあったが、肝心の「日野城」が無い。
日野駅前の観光協会で初めて「中野城=日野城」ということを知った。 |
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分かりにくい写真になってしまったが、堀跡。
なにやら澱んだ水で不気味だった。
霊感というものが無い自分だが、この城は妙に変な雰囲気だった。筆皇会員3号同伴だったら見えたのかも…。 |
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西大路藩の藩庁跡。
碑の後ろの広場はゲートボール場。 |
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上の碑のアップ。
「藩主 市橋家邸跡」の碑。
当然後ろの広場はゲートボール場。 |
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郭跡の広場というか空き地状態。
ものすごく暗い雰囲気だった。
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堀跡、イメージは沼…。
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城内の二つの岡にには凉橋神社と稲荷神社がある。
ちなみにこの凉橋神社の説明板は以下の通り。
「江戸時代この地に藩庁を置いていた1万8千石の大名市橋氏は清和源氏の流れを汲むところから、その祖六孫王を祭神とするこの神社は、すぐ傍の二つの岡をつなぐ橋から社名を採ったものと考えられ、江戸時代の中期享保6年(1721)の創建されている。しかし旧藩士に伝えれれたところによれば、故あって18才で殺害された3代藩主政房の怨霊を鎮めるための神社であったとの伝説も、密やかに伝えられている。」
城の怪伝説の一つ。 |
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もうひとつの岡にある稲荷神社横の物見櫓跡。 |
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稲荷神社。
1701年に藩の長久を願って城の裏鬼門に建立された。現在も地元住民に信仰されているという。 |
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稲荷神社のある岡を見上げて撮影。
いつのものか分からないが、この城で数少ない石垣の遺構が見られる。 |
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