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大和郡山城の案内図。 建物自体はそう多く残っていないが、石垣だけでも満足できる城だった。 説明板の縄張図 |
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復元追手門(昭和58年復元)。門には豊臣家の桐の家紋が刻まれている。 郡山城説明板 |
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追手東隅櫓(昭和59年復元)。 追手門東隅櫓説明板 |
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追手向櫓(昭和62年に復元) | ||
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追手東隅櫓の横にある続土櫓。鉄砲狭間も復元されている。 | ||
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市民会館。もとは県立奈良図書館の建物であったが昭和45年にこの地に移築された。 市民会館説明板 |
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外堀。増田長盛が川を引き込んで作ったといわれる。 | ||
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野面積の石垣。組み方は荒いが迫力があった。 | ||
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天主台。高さは10mほど。一部石垣の石が妙に出っ張っていたところがあったがこれはもともとなのか、経年によるものなのかは不明。 | ||
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天主台の階段。どうという階段ではないが妙に雰囲気があって気に入ってしまった。 | ||
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天主台の上。碑が建っているだけであまり見るべきものは無かった。 | ||
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内堀。結構高い石垣で上からの眺めはかなり迫力があった。 | ||
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毘沙門郭と本丸を結ぶ極楽橋跡。向こうに見えるのが本丸の石垣で、橋がかかる部分には石が組んでないのが分かる。 | ||
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石仏・石塔等をふんだん(?)に使用して作られた石垣を覗けば今でもその痕跡を十分に見ることができる。 なお、天守台北側にはさかさ地蔵などが集中して使われている。結構圧倒される景観でもある。 |
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本丸跡にある柳沢神社。明治13年の創建で柳沢吉保が祀られている。社務所もあり、朱印をお願いしようとしたが誰もおらず書いてもらえなかった、残念…。 | ||
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