筆皇公式ツアーⅦ サイパン編 その3

もっとリアルな写真を撮りたいと海へ身を寄せる筆皇。
彼に言わすと、「自分のマナーが悪いのではない、こんな所に柵を作るのが悪いのだ」ということになる。

筆皇も落ち着いた所で記念撮影。
サイパンで最もはやっているという記念撮影ポーズ情報を入手していたので、早速実践。
残念なことに、ガゼネタだったらしく、他の人達はおとなしくピースサインで撮影していた。

サイパンダバスは近くで見るととてもサビサビ。
この子供だましのバスに果たして日本人が喜ぶのだろうか?と思っていたが、バスが来た瞬間、たくさんの観光客が「サイパンダバスだ!!」と大喜びで撮影していたのはガイドブック通りだった。
もちろんその一員に自分も含まれていることは言うまでもないのだが。

バンザイ・クリフと並んで悲劇の地となったスーサイド・クリフを奥に臨む。
次の目的地でもある。

慰霊碑の前でも例の人達による例のポーズ。一応鎮魂バージョンとなっているが、外見上でその違いを見つけるのは難しい。

バンザイ・クリフを越えてからの舗装はそれまでと違って、すこぶる滑りやすい。
途中、オイルみたいなものが付着している箇所があって、見事にこけた。皆動揺していて写真なし。

原付で10分弱のスーサイド・クリフへ。
こちらは完璧な崖で、飛び降りたら間違い無く死んでしまう高さ。
写真はスーサイド・クリフから見下ろすバンザイ・クリフ。

スーサイド・クリフの崖の麓で見かけた。
こう言ってはなんだが、慰霊碑より重く感じられる。

スーサイド・クリフから海を見下ろす。
すぐ真下は旧日本軍の飛行場跡なのだが、一部農地化され、はっきりと確認することはできなかった。

柵のすぐ隣の崖。
恐らく高低差は100m以上。

時代の流れに逆らって、5名中4名がヘビースモーカー。休憩するたびに多服。

若ぶっていても、スーパーマリオ世代の面々、土管があればコインを求めての潜入もいとわない。

当初の予定では米人観光客がいたら、刀で威嚇するポーズを撮影するはずだったのだが、いるのはアジア人ばかり。
しょうがないので日本人の心意気を見せるポーズで撮影。


もし米人観光客がいても、そんなポーズを頼める気概などあろうはずもないのだが。

当初の予定では米人観光客相手にこのポーズで撮影するはずだったのだが、いないのでは仕方ない。


その際には自分達が横たわる側にまわる公算が大だったのだが。


筆皇対94号チャンバラ動画
集団示現流動画
3号対4号


ちなみにこの集団示現流で3号、4号のカメラが破損した。なぜなら撮影班の小池さん(仮名)に体当たりしてしまったため。
その時の画像は飛んでしまったので撮り直した。

この後、風光明媚なグロットへ向かう予定であったが、スケが押しつつあったのでパス。


写真のクリーム色舗装がすこぶる滑りやすい。

途中みかけた牛を撮影しようと近づいたら、股間アタックed。
率直に述べると、「痛気持ちいい」。

サイパン島の南北を縦断するルート30のバンザイクリフ分岐点付近にあるバナデロ。
通称「ラスト・コマンド・ポスト」付近に置かれている戦車、高射砲など。


サビ止めの塗装はいたしかたないとしても、この色彩はどういうことだろうか?
それでも撮影しまくる3号&4号。

原付に乗っている間は機嫌が良いが、降りて見学ともなると途端に時間を持て余す94号。
友達がいないとはいえ、何の興味もないまま、サイパンにやってくるという暴挙が彼の持ち味。

日本軍最後の司令部であった「ラスト・コマンド・ポスト」。山の窪みにトーチカを築いたもの。

ラスト・コマンド・ポスト内部。
爆撃によってできた直径2mを越す大穴が開いている。
 ラストコマンドポスト内パノラマ


南側から撮影したラスト・コマンド・ポスト

時間が更に押したので、レンタル原付を返却して急いでホテルへ戻る。朝食も摂っておらず、昼食もハンバーガー一個。
若干気の毒だが、スケ遂行の為ならば仕方ない。飯など日本に戻ればいくらでも食えるのだから。

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