歴史的なスポットとして何百年も前の城や近世の産業遺産が多くの観光客を集め、有名な戦争遺跡や廃墟スポットにおいても多くのマニアが侵入を試みている。こうした人々の記憶に残る「跡」は在りし日の姿を想像することが容易で、歴史好き/廃墟好きの好奇心を満たしてくれている。
今回紹介するのはこうした「跡」とは全く異なる「近世のマイナーヒストリー」である。城のように数百年の歴史を持つわけでもなく、産業遺産のように何かを生み出したわけでもなく、戦争遺跡のような悲劇性もなければ、廃墟マニアの侵入する建物すらない。
数十年から100年前という中途半端な古さと中途半端な寿命のためか、郷土史で調べてもなかなかその全貌は見えてこない。


しかし「廃」と共に「跡」好きな自分としてはこうしたスポットを掘り起こし、紹介することに無常の喜びを感じるのである。

三谷温泉ロープウェー跡
 

県内有数の温泉地である三谷温泉と景観に優れた乃木山を結んでいたロープウェイ跡。駅舎は共に再利用されており、片やカップル熱愛スポット、片や珍スポットの観光寺。
蒲郡とぼねスカイランド
 

三河湾スカイラインに面し、景観地として整備されていた遠望峰山の山腹にあった人工スキー場。
スキーブームの最盛期を過ぎると利用客は減少、施設の老朽化もあって平成10年3月に閉鎖となった。
三ヶ根山ロープウェイ
 

風光明媚なハイキングスポットであった三ヶ根山を一大観光スポットとすべく整備されたロープウェイ跡。かつての隆盛も今ではその痕跡をわずかに残すのみとなった。
〜港と2つの飛行場〜
名古屋国際仮飛行場・名古屋飛行場



航空機による民間路線就航により名古屋でも飛行場建造が熱望された。戦争の足音が近づく中でつくられた二つの飛行場をレポート。
地図小ネタ(昭和12年の大門付近)


別のマイナーヒストリーで紹介するために古い地図を手に入れた。眺めているとこんな所にこんなものがあったのかといつまでも飽きない。同様に感じてくれるごく少数の人のために小ネタ紹介。
名古屋教育水族館


名古屋港水族館が開館する80年以上前、名古屋港につくられた本格的水族館。天災にめげず奔走した名古屋の怪物「山田才吉」の情熱。
新舞子水族館


昭和11年東京帝国大学農学部の付属水産実験場として開館し、昭和45年の閉館まで長きに渡って親しまれていた新舞子水族館についてのレポート。
内海サンドスキー場


知多の観光が一番輝いていた時代、それまでガラスの原料である桂砂の採取地であった砂山はサンドスキー場としてにわかに脚光を浴びた。
わずか10年あまりで自然消滅したこのサンドスキー場跡を調査レポート。
師崎プール


師崎港近くに残る、周囲を防波堤で囲まれた海水浴場跡。いつ頃できて、いつ頃使用されなくなったのか不明。砂浜の少ないこの辺りの子供達の為に作られた海水浴場だったらしい。
この辺りで釣りをする人には、ちゃんと「プール跡」と呼ばれている。
〜看板に偽りあり〜
名古屋汎太平洋平和博覧会



2005年「愛・地球博」が愛知で開催された。この愛知を代表するであろう博覧会の70年ほど前、戦前名古屋を代表する博覧会「名古屋汎太平洋平和博覧会」が開催された。
〜混乱の区〜
名古屋市栄区



わずか2年にも満たず姿を消した「名古屋市栄区」。その発生と消滅は激しくなる戦争によるものだった。
〜もらった動物園〜
鶴舞動物園



大正年間、日本六大都市のひとつながら市営の動物園を持たなかった名古屋市。そんな名古屋にひょんなことから動物園設立の話がわいてでた。
〜最初のプロ野球〜
鳴海球場



日本で初めてプロ野球が行われた球場。日米野球の際にはかのベーブルースなども訪れた。現在は自動車学校となっているが、敷地の形状やスタンドの一部に往時の姿を見ることができる。
薩摩義士(宝暦治水)


愛知県民には妙にマイナーな「薩摩義士」遺構をレポート。
マイナーというほどマイナーでも無く、時代も江戸中期で近世ではないのだが、意外と愛知県民に知られていないのでここで紹介。

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