三谷温泉ロープウェー その1
(蒲郡市 2010/12)

− 三谷温泉の開発開始 −
三谷温泉は県内でも有数の古湯であったが温泉街としての歴史は意外に浅く、本格的に開発が始まったのは昭和30年台に入ってからであった。蒲郡市は景観に優れ、竹島など市内の有名観光地にも近い三谷温泉に旅館や飲食店を誘致するため、乃木山・弘法山の市有地を開発地帯として貸与した上、地代や税制面での優遇を行った。こうした積極的な施策が功を奏し、旅館や飲食店の開業は確実に増えていった。

− ロープウェイ・プラネタリウムの開業と廃業 −
昭和33年4月、旅館が多く建ち並んでいた乃木山と景観良好な弘法山の間を結ぶ「蒲郡弘法山観光ロープウェー(後に蒲郡三谷温泉ロープウェー)」が開業、翌年には弘法山に観覧車や動物の飼育施設を中心とした「弘法山遊園地」を開園、更に市の援助を受けた旅館組合によるプラネタリウムの建設も行われた。
しかし、ロープウェイの利用は予想をはるかに下まわり、初年度から赤字を出すとその後も赤字が続き、昭和45年には名鉄に無償譲渡された。結局その後も利用客は増えないまま昭和50年に廃業となった。
旅館組合によって建設されたプラネタリウムも当初は黒字であったが、建設費の負債に苦しみ同時期に廃業となった。

− 三谷温泉その後 −
こうした猪突猛進的な開発の失敗はあったが、三谷温泉自体の集客力は衰えることなく、県内でも有数の温泉地としての地位は揺るがなかった。しかし元号が平成に変わった頃からレジャーの多様化や団体旅行の減少によって、序々にその輝きを失っていった。平成10年には温泉街の中心的存在であった「蒲郡ふきぬき観光ホテル」が廃業すると、一気に退廃的なイメージが強まっていった。残ったホテルは収益を確保するため客の囲い込みをはじめ、とばっちりを食った周辺の小さな土産屋や飲食店の廃業が増えていった。
平成3年、「ラグーナ蒲郡」が開園。併設されたアウトレットなど客足は上々であったが、宿泊客増加には結びついていない。市内の他の温泉地に比較すればまだマシな方であるが、宿泊者数は昭和62年の最盛期から大幅に減少したままである。

− ロープウェイ発着所その後 −
昭和50年に廃業したロープウェイであるが、「弘法山駅」、「乃木山駅」の駅舎跡はそれぞれ再利用されてその痕跡を残している。

弘法山発着所:
正式な年月は不明(平成十年代後半?)だが、その展望の良さに目をつけた三谷温泉観光協会によって「カップルが肩を寄せ合えるスポット」として「ラバーズヒル」が整備された。青銅製の鐘「愛の鐘」が吊るされ、近隣のホテルや金剛寺で購入できるハート型のプレート(800円)が取り付けられるようになっている。階段や基礎などは駅舎時代のものがそのまま再利用されており、先述の「愛の鐘」から見下ろせば発着所の基礎が広がっている。

乃木山発着所:
昭和55年、発着所とプラネタリウム跡を再利用した観光寺「延命山大聖寺 大秘殿」が建立された。「大聖寺」とは言いつつも、完全な観光寺であり、エログロありのB級スポットとなっている。敷地のあちこちに基礎やガイド跡が残る他、メインの秘仏が納められている部屋はそのままプラネタリウム跡を利用している。

ロープウェイ
開業 昭和33年4月
昭和33年7月 名称変更
 「蒲郡弘法山観光ロープウェイ」 →
       「蒲郡三谷温泉ロープウェー」
営業時間 8:30〜19:00
8:00〜21:00(夏季営業)
運賃(開業時) 大人往復70円 片道40円
※観光クーポン(プラネタリウム付)大人100円 小人50円
廃業 昭和45年名鉄無償譲渡
昭和50年1月16日閉鎖


プラネタリウム概要
開業 昭和34年7月17日
営業時間 9:00〜18:00(夏季は21時までナイター営業あり)
料金(開業時) 大人50円 小人25円
※観光クーポン(ロープウェイ往復付)大人100円 小人50円
廃業 不明(昭和50年〜54年頃?)


 
三谷・弘法山の山頂に力強く立つ弘法像。
かつて弘法大師がこの地を訪れた時、景色の美しさに感動し、お礼に温泉を湧き出させたという故事にちなむ。ただし市史などによると1200年前行基によって発見されたとある。まぁどっちもあくまで伝説なのでそれほどムキになるものでもない。
「ちなむ」と言えば、この像に関する数値は弘法大師の生涯にちなんでいる。例えば、像の高さ18.78m(62尺)は弘法大師の享年62歳にから来ている。アンバランスな顔の大きさ、妙に長い杖、わらじの大きさも同様で、何から何まで弘法づくめの像なのだ。

建造は昭和12年、施主は滝信四郎という名古屋の呉服商で、愛知の三大旅館の一つに数えられた「常盤館」を経営していた人物でもある。滝は蒲郡を愛知の観光メッカとするため、常盤館をはじめとするホテルの経営の他、竹島橋の寄付をはじめ、地元青年団への多額の寄付も行っている。
聚楽園大仏を建造した山田才吉にも言えるのだが、こうした富の社会への還元を見ていると昔の成り金は現代の金持ちよりスケールの大きい人物が多かったようだ。
ちなみにこの滝信四郎、像建立後も地道にコンコン細かい所に手を加えていたらしい。髭だらけの風貌で像に張り付く姿に彼を知らない人には随分気味悪がられたという。


山頂中央にズドンと弘法大師像があり、横に金剛寺と喫茶店がある。
正直パンチがないスポットなのだが、いつ来てもそこそこ観光客がいるのが不思議だ。来てる人に「ここの何が楽しいんですか?」と聞いてみたい気もするが、落ち着いて考えると自分もここに来たのは一度や二度ではなかった。

ロープウェイ開通翌年の昭和34年、この一帯は「弘法山遊園地」として整備され、観覧車などの遊具設置の他、シカやツキノワグマ、ニホンザルが飼育されていた。ちなみに飼育されていたシカはもともと三河大島で放し飼いにされていたものだが、泳いで脱走する不埒鹿がいたためこの遊園地に移された。名称はズバリ、「バンビセンター」。
痕跡を探そうとしたが、体力消耗防止のためここまで車で上がってきたので確認できず。

シルエットは普通のお地蔵さんのようなデフォルトの効いたかわいい体型なのだが、いかんせん顔が中途半端にリアルなのが怖い。

ちなみに左手に抱いている子供も同じ顔をしている。
体型が子供だけに恐怖度は更に高い。

こちらは建造途中の顔部分の写真。
もともと展望台も兼ねていたため、内部に梯子チックな階段が見える。

老朽化して指や手が落ちると事故が発生したため、怪我人こそ出なかったが内部への立ち入りは禁止された。中に入れた頃は左の耳の穴から豊橋方面が、右の鼻の穴からは渥美や知多半島方面を臨むことができたという。

ついつい弘法大師像にばかり目が行ってしまったが、今回のメインはここ。

その名も「ラバーズ ヒル」。
和訳すると「恋人たちの丘」。
言い間違えると「構わず 昼」。

蒲郡の観光客、宿泊客減少を食い止めようとオープンした「ラグーナ蒲郡」も最盛期の輝きを取り戻すまでには至らず、更なる打開策として整備されたのがこのカップル寄せスポット。

「若い恋人たちが肩を寄せ合える」というのがコンセプトで、ラグーナ蒲郡を訪れたカップルがターゲットらしい。
苦し紛れの集客策以外の何物でもない。


ラバーズヒルにかかる「愛の鐘」に向かって降りる階段。
これがかつて弘法山側のロープウェイ発着所基礎を再利用したもの。手すりは塗りなおされて電飾も設置されているが、足元のコンクリートを見れば昨日今日のものでないのは一目瞭然。

乗客と降客を分けるためか通路は手すりで左右に分割されていたようだ。
現在使用しているのは階段右手側のみ。左手側はご覧の通り、ヤブに埋もれつつある。

手すりで封鎖されているが階段はプラットホームがあったと思われる下部に続いていた。

当然ながら、封鎖された先の階段は全く未整備でほぼヤブに埋まっている。ラバーズヒルができる前はこの基礎全体がこんな感じで埋まっていた。

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