地図小ネタ(昭和12年の大門付近) (名古屋市中村区) |
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別のマイナーヒストリーで使った昭和12年の地図から見つけた小ネタを紹介。 その1:遊里の池&中村球場(現 名古屋市中村区)。 現在も名古屋のソープランド街として知られる中村区大門は大正期に手狭となった旭郭から移転されて建設された遊郭である。移転後から戦前までの繁栄は甚だしかったが、戦中、戦後の混乱で衰退し、昭和33年の売春防止法により廃業する郭も多かったようだ。現在も特有の町割りと遊郭の建物が残っているが、建物については解体もすすんでいる。ふらっと歩いてみると下町とソープランドが共存する不思議な街である。 この大門については、数年前に取材しようと旧遊郭の建物を撮影していたところ、怖い方々にスクープ雑誌の取材と勘違いされて怖い目に遭い、モチベーションが下がってボツにした過去がある。 |
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昭和12年の名古屋市市街地地図(中村区部分)。地図の左上に「遊里の池」、左下に「中村球場」とある。 「遊里の池」はウィキペディアで簡単に調べると、「遊里ヶ池」の名で記載されており、遊郭の用地整備に土を必要とし、掘った穴の名残とされている。 昭和10年頃に埋められたとあるが、昭和12年発行の地図にはまだ記載されている。地図の信用度が微妙ではあるが。 「中村球場」についてはネット上では情報が無かった。図書館まで行って調べていないので手を抜いている。 球場といいつつ形状からすると球技場みたいな感じだったのかも知れないが良く分からない。 |
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昭和21年の航空写真。 池、球場、共にそれらしき痕跡は見つけられない。池については昭和10年代の早い時期に埋め立てられた事実があるので当然といえば当然の結果。 中村球場については家らしきものが建てられている。こうして見ると球場が本当にあったのかどうか疑いたくなる。 |
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現在の地図と重ねたもの。 池の跡は名古屋第一日赤病院となっている。球場は普通の住宅街。 |
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遊里の池跡の拡大地図。 古い地図と重ね合わせて推測した位置なので、若干ずれてるかもしれないがこの辺りだと思う。 |
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中村球場跡の拡大地図。 ごらんの通り、住宅街。こちらについてはまた調べてみたい。 |
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