三ヶ根山ロープウェイ跡 その1

鉄道オタクが公民権を得ると、かつては人が聞けば眉をひそめられた廃線マニアもある程度認知されるようになってきた。大型書店に行けば廃線関係の本もチラホラ置かれ、ネットにおいても「廃線」で検索すれば多くの関係サイトが表示される。
しかしこれがことロープウェイとなると、その絶対数や痕跡の少なさから途端に人気が無くなり、サイトで探してもまともなものはvision*J氏による「失われたロープウェイ」くらいしか見つからない。確かにロープウェイは鉄道のような鉄路やトンネル、鉄橋跡もない。だいたいが山頂と山麓駅のみであるためファン必涎の駅舎数も少ない。鉄道と比較するとそれを目にした機会も少ないので興味もあまりわかないのだろうか。

しかしロープウェイが引かれていた場所というのはその大半が観光地であり、さらに廃止になった理由としてはその観光地が持つ観光基盤の地盤沈下が上げられる。「廃れた観光地」、ロープウェイの痕跡もさることながら、その甘美とも言えるキーワードが自分の「廃」興味をわかせる。
今回はかつて愛知県にあったロープウェイ2箇所を紹介していこうと思う。まずは旧形原町(現 蒲郡市)にあった三ヶ根山ロープウェイ跡から。



三ヶ根山はその展望の良さで戦前から知られた遠足、ハイキングコースであった。当時からロープウェイ建設の声は上がっていたが、開戦により計画は中断された。やがて終戦を迎えたが、人々は日々の生活に追われ、レジャーどころではなかった。

終戦からおよそ10年を経て人々の暮らしに余裕が出てくると、三ヶ根山は再びハイキングコースとして脚光を浴び、年間5万人の登頂者があったという。しかし展望の良さ、山頂にある三ヶ根観音への参拝、山麓の形原・西浦温泉への更なる集客など、観光地として発展を続けるためには「ハイキングコース」だけでは限界があり、交通インフラの整備は不可欠であった。


形原町(当時)では山頂にバンガロー公園/遊園地を設けるなど、山頂山麓を一大公園化することによって県内全域からの集客を目論んだ。昭和30年から蒲郡商工会議所などにより勧められていた三県立公園の国定公園指定運動が実を結び、指定がほぼ確実になった昭和32年11月、観光の目玉となる三ヶ根山頂と山麓を結ぶロープウェイが完成した。
(※国定公園指定は昭和33年。)

事業会社として第三セクターの「三ヶ根山観光索道株式会社」が設立され、宝飯郡形原町の形原温泉から三ヶ根山310m地点までの475mを二十人乗り(初期計画)のゴンドラ2基によって運航した。三ヶ根山の山頂には展望台(後に有名な回転展望台)が設けられ、周辺には土産物屋が建ち並んだ。山麓駅のある形原温泉でも玄関口とも言えるロータリーから多くの民宿、旅館が並ぶ一大観光施設へと発展していった。

しかし昭和43年、モータリゼーションの発達と共に三ヶ根山スカイラインが開通すると、ロープウェイの乗客は減少していき、昭和51年に廃止となった。



かつての三ヶ根山ロープウェイの写真。
下の写真と比較すると随分地面との標高差があるように見える。
蒲郡博物館で販売されていた絵葉書に載っていた往時の三ヶ根山ロープウェイ。ロープウェイ左は山麓園。背後に山頂駅が写っているが、建造物の形まではよく分からない。

航空写真で見るロープウェイの変遷
1977年

廃止翌年となる1977年の航空写真。
山頂、山麓駅とも赤い屋根の建造物が残っている。

上の写真の拡大。
山頂側、スカイラインとの分岐点に建造物が見られるが現存しておらず用途は不明。
山麓側にも建造物が多く建ち並び、観光地として整備されていたことが分かる。
木々が切られ、索道のあった直線も一目瞭然。

1987年

廃止11年を経た1987年の航空写真。
山頂駅は一部解体されており、1977年に見られた赤い屋根がなくなっており、索道部分の木が育ってきたため山頂駅部分が分かりにくくなってきた。
山麓側は見かけ上建物の解体は行われていないようだが、観光地としてはダメージを受けているはずであり、商店の閉店などもあったと思われる。

2009年

廃止30年以上を経た2009年の航空写真。
山頂駅はかすかな痕跡を残すのみとなり、スカイラインから続く連絡路も木々に埋もれている。更にスカイライン分岐点にあった建造物も解体されている。
山麓側は山麓園の継続営業、駅舎跡の転用(藍染の館→現在移転)なども行われたが、建造物がかなり解体されている。
索道跡も山麓駅にわずかな痕跡を残すのみとなった。

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