蒲郡とぼねスカイランド跡 その1
(蒲郡市 2010/12)

三河湾スカイラインに面し、景観地として整備されていた遠望峰山の山腹にあった人工スキー場。
コースは上級・中級者用(この違いをゲレンデの航空写真では見つけられないが)、ちびっ子ゲレンデをそなえていた。ゲレンデ長は上級者用でも300m強と短いものであったがリフトも完備されている。さらにスキー場以外の施設として同時に開設されたフィールドアスレチックや既設の展望台などがあり、家族で一日楽しめるスポットとなっていた。
オープンから数年(確認できるところでは6年)は年に数回、スキー大会も開催されており、短く狭いコースながら回転競技が行われている。
その後ゲレンデ面を中心に改修を行って続けていたが、1993年と言われるスキー最盛期を過ぎると利用客は減少、施設の老朽化もあって平成10年3月に閉鎖となった。

思うにスキーが流行したのも、スキー自体の楽しさもさることながら、「スキーはおしゃれ」という部分も非常に大きかったと思う。そういった面で考えると、さすがに三河の山の人工スキーではスキーブーム中でも自ずと限界があったのではないかと。そんな状態でスキーブームが下火になれば、本物のスキー場以上に客足が遠のくのも容易に考えられ、結果それが閉園に結びついたのではなかろうかと。

概略データ
開園 昭和53年6月24日
営業時間 9:30〜17:00(夏季は17:30 ナイター営業実施日あり21:00まで) 水曜日休園
料金(開園時) 大人1,000円(日祝1,200円) 子供500円(日祝600円)
スキーレンタル料 大人1,000円 子供500円
リフト 50円(11回券500円)
フィールドアスレチック 大人400円 子供200円
コース 一般用:長さ300m 幅8〜20m 斜度20→10度
子供用:長さ32m 幅15m 斜度12度
ドレンシートの上に人工芝を張り、その上に細かいビーズがまかれていた。
さらに滑りをよくするため1時間毎に水をまいていた。
閉園 平成10年3月26日(閉園式)

料金については何度か改正されている。また、当初は対象が日祝だけだった割増料金も土日祝に拡大されている。企業や学校が土曜日休みに変遷していく時代の流れが感じられてなぜか感慨深い気分になる。

※他のマイナーヒストリーと比較すると時代が新しく、「マイナー」というのも微妙。
  しかしながら、更なるレポート充実のため、当時の情報(様子など)や写真(電子データ)をお寄せ下さい!

昭和53年7月の蒲郡市広報の表紙写真。
一人視線を外し、ポーズをとる先頭のおじさんに朱印倶楽部筆皇魂を感じずにはいられない。


現在も販売している蒲郡市の観光名所旧写真絵葉書の中の1枚。
恐らく平成に入ってからの写真だと思われるがいつ撮影されたものか不明。位置としては中腹やや上寄りのカーブ部分(?)
写真中央上にはナイター施設のライトが建っている。

滑り出し部分。
時期不明だが、ジーパンがスリムなケミカルウォッシュっぽいので昭和60年代ではないかと思われる。
左のおばさんのTシャツを見ると、このゲレンデ所属のチームがあったようだ。

画面右上の円形建造物は展望台、その左手に施設の建物が見える。

広報誌に掲載されていた写真。
位置は不明だが、写真ではコースが分岐しているようなので、これが上級(左)と中級(右)を分ける分岐か?

ただ、コース図では右側の中級コースはこの後すぐ終わってしまうことになるのだが、とてもそんな感じにも見えない。

左側を滑ってる二人組の滑降ポーズを見る限り、本意ではない方向に滑っているようにも見えるので、コース分岐ではなく、ただの緩衝帯なのかもしれない。

オープンして数年以内と思われる写真。
位置はゲレンデ終端部分。

現在「天の丸」のゲートをくぐってすぐの場所にあたる。地形に特長があるので現地に行けばすぐ分かる場所。

写っている範囲は狭いが上の写真と同アングルの写真。様子からすると平成になってからのものか。

カーブ内側部分の山肌について、上の写真では土が露出したそのままの状態であるが、こちらでは危険防止のなのか、雰囲気を出すためなのか、滑走面と連続した白いカバーらしきものがついている。

しかしこの部分、究極のボトルネックになっているが、止まれない人が猛スピードで突っ込んできたりして事故にならなかったのだろうか。


Googleマップの航空写真。
写真を見る限り、ゲレンデ・リフト・滑り出しの平地など大きな木も生えておらず痕跡が明確になっているが、実際はこれほど綺麗に残っていない。
撮影時期は結構前だと思われる。


広報掲載の案内図を参考にGoogleマップに書き加えたもの。
現地は意識すれば「何か」の跡だと分かる程度で、建造物などは現存しない。GoogleやYahooの地図を見ると、小さな建物が残っているようであるが、現地では確認できなかった。

 
広報の案内図。


管理棟裏側にあったフィールドアスレチック。
一時はこうした大規模なフィールドアスレチックを多く見かけたが、最近とんと数が減った。

航空写真の管理棟付近を拡大したもの。

昭和52年(オープン1年前)の航空写真。
遠望峰山山頂付近は遠望峰山園地として当時から整備されており、展望台と付随施設はこの当時から建っていた。

オープンして3周年経過した昭和57年の航空写真。

更に5年後、昭和62年の航空写真。
この間、改修が行われており、滑走面以外は滑り止めの人工芝が青々しい。

こうして見ると、いかに実滑走面が小さいかよく分かる。

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