半田赤レンガH24 二階部分公開 その1
(半田市 2012/5)

赤レンガ倶楽部員でなく、半田に自宅や勤務先がない専門学校卒の身長170センチ未満体重65キロ以上の40歳O型男性の中では県内で3本の指に入るほど半田赤レンガの特別公開に行っている自分。何か分からないが自分を引き付ける独特の魅力に満ち、これまでのレポートは3回ながら、実際訪問した回数はその倍以上となっている。何度も訪れるうち、当然ながら一般公開される一階だけでは飽き足らず、二階以上もぜひ見学したくなり、半田市に見学の申請をかけるも安全上の問題から却下されていた。

そんな愛しの赤レンガの二階がついに公開されることになった。GWの5月3、4日の二日間、先着500名である。1回あたり20名づつ見学ということで、普通に考えれば500÷20=25回ということで、一日中見学できる計算なのだが、もしかしたら日本中の赤レンガファンが集結するかもしれない。徹夜組が300人くらいいるかもしれないと考えると前日は寝るに寝られず、当日は平日より早く起床し、GW渋滞のリスクを回避するため電車で出かけた。

結果的には杞憂していた殺人的な徹夜組集団というのはいなかったが、それでも現地9時45分到着ながら、キャンセル整理券を手に入れて10時半の回(見学は10時から15分きざみ)となった。あまり他の人の見学機会を奪ってはいけないと思い、午前中はその一回だけで我慢していたが、愛息太郎が合流したため、申し訳ないが午後にも更に見学した。その時は12時半に整理券をもらって14時の回だったのでやはりそこそこ混んでいたようだ。

今回の見学は二階の見学がメインであり、一階部分の通常展示はそれほど従来と変わらなかった。とは言え、ここ2,3年パネル展示がおざなりになっている印象もあり、実際は初めて見学した時と比較すると少々物足りない感じだった。

二階は特別何があるというわけではないが、やはり一階とは違う雰囲気がある。それほど興味がない人は「あぁ、こんなものか」と思うかもしれないが、廃マニア、半田赤レンガファンからするとやはり魅力的な見学であった。安全上難しいかもしれないが、ぜひ三階以上の見学ができるようになればいいなと思いつつ…。

愛着のある半田赤レンガ二階公開を今回はおふざけ無しの真面目レポートにて紹介。

Googleの航空写真を加工したもの。
外側からだとすごく複雑な組み合わせに見えるが、上から見ると、増築部分がボン、ボン、と付随しているのがよく分かる。

外観部分は何度か以前のレポートで何度か紹介しているので、さらっと紹介。

南東方向(航空写真①)から撮影した赤レンガ。
「あ、あなたも撮りました?私も撮りましたよ!」と訪れた人の誰もが撮影するであろう、超定番アングル。
そして誰もがそこそこに撮れるのがまた良い。

ちなみに半田市が日本食品化工からこの建物と土地を買い取った価格は○○億円。興味が無い半田市民にとっては目ん玉飛び出るような値段。


上の写真とほぼ同じアングルの古写真。
丸三麦酒時代で主塔(五階建)の東側(右側)部分は半田市が手に入れる前に所有していた日本食品化工が工場閉鎖時に解体して現存していない。主塔部分も当然ながら解体される予定だったが、半田市が買い取って解体を免れている。

主塔(五階建)東面。
古写真を見る限り、東側部分を引っぺがしたら主塔部分の西側壁が無くなって自立できないような気もするのだが、実際はご覧の通り五階建は五階建でかなり独立した建物だったようだ。

東側部分の解体は平成に入ってから、壁面に数多くの痕跡を残している。


丸三株式会社時代の赤レンガ。撮影は明治36年頃とのこと。煙突の文字が「カブトビール」に変わっている。
写真左のハーフティンバー部分には荷物の積み下ろしに使用するのか、プラットホームが見える(人がたくさん並んでいる部分)。

現在のハーフティンバー。
レンガ下部分にプラットホームの痕跡らしきものが残っている。

主塔にあった冷媒凝縮器の説明パネル。
冷媒凝縮器は創建時から置かれていたとある。設計した妻木さんも、せっかくの作品の顔部分(?)にこんなもの置かれたんじゃ、ちょっとガッカリしたんじゃないかと思う。


現在の五階建部分。説明パネルにあるように架台は残ってるが冷媒凝縮器は残っていない。やっぱり無い方が見栄えが良い。

づいでに壁面にあった洒落た窓の多くはレンガやトタンで塞がれてしまっている。建物全体の迫力であまり目立たないが、何度も見てるとちょっと気になってくるのも事実。財政難のご時世、勝手を言って申し訳ないが、可能ならこの窓の復元もお願いしたいと思う…。


こちらもよく見かける北北東側からのアングル(航空写真②)。
ちなみに主塔五階建部分から手前は明治期の増築(第1次増築)、その右手奥は大正期の増築(第2次増築)。
やはりこちらの面も窓や入口の多くが塞がれている。

北面の機銃掃射跡。
聞いた話だと、当日の米軍機はパイロットの影が簡単に認識できるほどかなり低い所を飛行しており、人だ電車だ建物だと、好き放題ぶっ放していったらしい。

機銃掃射跡アップ。
P51の12.7mmとは言え、これだけ喰らって穴が開く程度であり、いかに堅牢な建物かというのは簡単に理解できる。

北面上部の丸窓。
かつては灯りとりの丸窓だったが、日本食品化工時代に埋められたらしい。他にも数か所、丸窓はあるが、やはり全て埋められてしまっている。

北壁面。
斜めにレンガの色が変わっている部分は日本食品化工時代に何かスロープのようなものがつけられていたらしい。
色が変わってる部分のレンガ表面は何かで削られたように荒れている。

色々説明してくれるボランティア何人かに聞いてみたが、詳しい用途までは分からないとのこと。

東面北側の突き出た部分。
窓はあるが、扉はなく、相変わらず何に使われていたのか分からない。
天井近い部分に突き出た鉄骨など見ると他の建物と接続していたと思われる。

中はこんな感じ。
事務所か守衛所のような感じだが、いかんせん扉がないので違うのだろう。

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