ATフィールド展開!in小笠原 その2 | ||
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港のオブジェの鯨の銅像。 どうしよう?帰りもあの苦痛を味わうのか… |
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パパヤの人が車で送迎。 いい感じの宿。だが、この写真の2階に置いてあるコンテナみたいな置物が今回の自分の部屋。離れになっているこの宿唯一の一人部屋。あとは全部相部屋。まるで自分の心を具現化したような場所に心の中で小躍り。 |
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到着が遅れたのと台風の風が凄いのとでとりあえず原チャリでの観光は諦めてみた。 替わりにこのレッドサイクロン号(ヘクトパスカル使用)で近場を回って夕食の場所でも確認しておくか。民宿では朝食のみのプランにしてあるから。 |
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お!いきなり神社発見!そりゃぁ朱印倶楽部ですからね!行くさ! | ||
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それにしても結構な石段。まぁ、新人パイロットがよくかかる病気から復活してるからなんてこたないけどね。 | ||
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とは言ってもヘトヘトだな。 鳥居のとこまで登って景色を見てみる。おお!いい眺め。 景色を見てると後から登ってきたおばさんに追いつかれた。もちろんこの手の人にはATフィールドは役に立たない。 なんと沖縄から来たらしい。ご苦労様です。そういえば父島は緯度的には那覇と奄美大島の間くらい。いや、与論島と同じか。 さらに後から同年代くらいの女の人が登ってきておばさんに「あんたたち新婚旅行?」と聞かれたけど、あきらかに別々で登ってきてるんですけどね。 |
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期待はしてなかったけどやっぱり人はいない。ここで朱印を貰えばかなりの希少価値だろうに。 さっきのおばさんはここで5分くらい手を合わせてた。知り合いにここで亡くなった人でもいるのかな? お祈りが終わったおばさんがまた「あんたたち新婚旅行?」と聞いてきたよ…。 |
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お?それっぽいの発見! 大杉隊道っだたかな?翌日の戦跡ツアーのガイドさんが言うには大戦時に作られたトンネルらしい。 |
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もちろん今は崩れないように補強してセメントコーティングもバッチリ。夜でも通れるように蛍光灯も完備。ちなみに歩行者専用。 | ||
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とは言っても結構暗い。 | ||
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何の碑だかわからないくらいに文字が消えかけ。 | ||
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これも絶対それなんだけどなぁ。 そういえば、ダイビングの予約した店に到着日に来てくれって言われてたから行ってみた。「台風のせいで潮の流れが速いからあさってはひょっとしたら体験ダイビングは無理かもしれないので明日携帯に電話します。」って…。 ちらっと回れたし、飯を食うところもわかったから夕飯食って帰るか。 パパヤに帰ると今日予約していたナイトツアーは天気も悪く風もまだ強いから明日に変更になっていた。 |
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2日目 戦跡ツアー 今日は戦争遺跡ツアー。お願いしてあるのは「板長」って店で、このガイドさんは板前らしい。 ツアーはこのカウンタックLP400で回る。一緒に参加するのはガイドさんと東京から来たお坊さんと自分の三人。 |
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まずは海軍慰霊碑に線香をお供えしてから。中心の慰霊碑の周りにある小さな碑は父島付近で亡くなった海軍さんの人数分作られていたらしいけど、島まで運ぶ途中に船が転覆して大半は海に沈んだらしい。 | ||
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おがさわら丸が着岸した二見港とは島の反対側までカウンタックで移動。キレイな海だ。空港を作らなくて正解かも。でも船酔いはちょっと遠慮したい。 | ||
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ガイドの板長の後を追って茂みに入っていく。直撃した台風14号の影響で弱っていた木はほとんど倒れている。 | ||
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それでもまだまだ沢山ある木の間に見えてきたのが当時の発電所。やっぱり人があまり入らないせいか比較的いい状態。 | ||
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オッホーウ!戦闘機の機銃掃射の後だってさ。硫黄島まで占領した米軍は戦争中には父島には上陸しなかったらしいからこういう銃痕は基本的には飛行機によるものらしい。 | ||
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中の状態もそんなに悪くはないし、自由に出入りできるのがいい。 下のコンクリートが発電機の台座。 |
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