第9回爆釣ツアー 関東編(靖国神社)

4章


終戦記念日の翌日。今回の大本命「靖国神社」に向う。起きた時にはすっかり壁に付いてた血のことは忘れて旅館を出た。旅行中も旅館やホテルで終戦60周年記念番組を観ていたのでボルテージはマックスに近いけど、旅館でしっかり睡眠をとっているにもかかわらず体力はあまり回復していない。これが「中年」というものなのか・・・。そういえば、偕楽園から日光に向う途中高速に乗るインターを間違えて栃木とは逆になる東京方面へ入ってしまった。疲労が溜まっていたせいかも。
今回は順当に首都高まで入ったけどさすが噂の首都高。止まるほどではないけど結構な渋滞。「この高速って結構揺れますね」とクモハと話していたが、トラックとかが走って重さで揺れてたんじゃなくて、東北で震度5の地震があったらしく東京でも震度3ほどだったみたい。というのはこの日のスケを終えた旅館で気付いた。

ついに本丸に到着。写真左下に頭にタオルを巻いた二人組みが写っているけどただの通行人。筆皇メンバーではない。

もちろん神紋は菊。前日には葵の本丸。ほんの140年前に政権抗争のあった相反する両紋を制覇。

15日に比べれば少ないとは思うけどそれでも結構いる。
明治天皇により戊辰戦争で国のために命を捧げた人達を祭るために建てられたのが最初で、後にペリー来航から幕末にかけて、最終的には第二次世界大戦までの国のために命をかけた人が祭られている。戦災者は祭られていない。

軍事博物館「遊就館」。靖国に来た目的のほぼ全てはこの中に詰まっているんだけど、残念ながら中は撮影禁止。部分的に撮影できる場所があったのでそこだけでも撮ってみた。

まずは零式艦上戦闘機52型。世界最強を誇ったゼロ戦の最後の方の機体。生産台数が最も多かったのが52型。

八九式15糎加農砲(はちきゅうしき15センチカノン砲)。説明版に書かれたこの「加農砲」と言う文字を見ていたお客さんが「加農さんが作った大砲なのかなぁ?」と言っていた。気持ちは凄く良くわかる。昔の日本人って何でも漢字をあてはめちゃうからねぇ。

蒸気機関車… 説明版を撮るのを忘れてた…。

上から見るゼロ戦52型。プロペラの羽を3枚にしたのは三菱マークをイメージしての事なのだろうか?

特別攻撃機「桜花」。推進力はあるけど離着陸は出来ない。一式陸上攻撃機に積み込まれ、敵艦隊の数十キロ手前で切り離され火薬ロケットに点火して加速。ほぼ滑空しか出来ないのでグライダーみたいなもの。そして敵艦に特攻…。終戦間際の冷酷な兵器。

回天一型。必中必沈の有人魚雷。当時の若者は神国日本のために特攻をすることに誇りを持っていたと聞いたが、またその逆の話もチラホラと…。
博物館での撮影はこういう兵器や兵隊の遺留品しか出来なかった。一番載せたかったのは特攻隊員の最後の手紙なんだけどなぁ。

知らなかったけどこんなところに幕末三道場の一つの錬兵館が建っていたみたい。

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