豊川海軍工廠 その3

海軍マーク。

通りに建つ木造の電柱。
木製ということもあって当時からあったもののように見えるが、往時の電気は全て地下配線であり、これは戦後に中部電力によって立てられたもの。

通路に面して残る爆薬置場。
当時は四方を土塁で囲まれていたが、現在は奥と右手のみ残る。


写真は5年前のもので,、開いていた扉から中を覗くと完全に屋根が崩壊していた。現在は扉は閉められている。

構内で入口の脇に蛇口がある建物は結構多いとのこと。見てないがそういうことらしい。

青錆の浮いた蛇口アップ。
ひねってみたが水は出なかった。

道沿いであちこち見かける当時の電燈跡。
ただし崩壊が進んでおり、原型を留めているものは少ない。


守る会のリーフレットによると、灯火管制で灯りが灯ることはなかったとのこと。

構内では空中電線は全く使用されていなかったので、これらの電気も地下を通る電線から供給されていた。

通路沿いに残る貯水槽跡。
残念ながら説明はなかった。

入ることはできなかったが、土塁に囲まれたトンネル。
奥に建造物が見え、後から調べると第三信管置場とのこと。乾燥場同様、現在も四方を囲む土塁が残るが一般の見学ルートでは入ることができない。


遺構に対してかなり無頓着だったようで、このような遺構があちこちに散在する。

突入したかったが、説明する人の他に世話人(見学者が行方不明にならないよう列の最後尾についている)がいたので望遠で撮影するのみ。

構内の西側に移動。
研究の際、周辺から飛んでくる電波を遮る緩衝地帯とするため構内の西側は手付かずの荒野状態。そのおかげで遺構の破壊は免れている。

通りから見た第一火薬庫。
一見するとこんもりした丘くらいにしか見えない。

2009年、伊勢湾台風以来と言われた大台風によって倒れた木。遺構もこの台風で多少なりともダメージを受けたらしい。

道を覆う舗装は70年前のオリジナルとのこと。
確かに表面にヒビなど見られるが信じがたいほど良好な状態を残している。

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