大久野島 その5

説明板によると病院の中庭に植えられていた木で、往時の写真にも写っているらしい。

当時の消火栓。
こちらは海岸沿いにあったものをここに移したようだ。

休暇村近くに残る研究室・薬品庫跡。当時は毒ガスの研究や分析、関連する薬品の倉庫として使用されていた。また、戦後になって休暇村として整備された当時は宿泊施設としても使用されていた。

少し前までネイチャーセンターという、集会所みたいな使い方をされていたようだが、現在は倉庫となっている。

貯蔵庫。休暇村の隣にあるため、遺構見学が目的でなくてもすぐ目に入る。

貯蔵庫の北側にある工場で作られた毒ガスを貯蔵していた。

奥の方へもコンクリートの壁面は続いているが、貯蔵庫らしき穴は見られなかった。

貯蔵庫の北側にあるテニスコース。土・タータン、それぞれ数面づつあるが、当時は長浦工場地帯として、多くの毒ガス製造工場や倉庫が並んでいた。

大久野島で発電所と並んで有名なのがここ、「長浦貯蔵庫跡」。長浦工場地帯の北側にあり、写真を撮ったこの地点は背後に遊歩道があり、すぐ海岸となっている。

内部は6部屋に分かれており、当時は屋根などもあったようだが、毒ガスタンク廃棄時に取り除かれたとのこと。

敷地内から撮影。2〜3階建の建物くらいの高さ。中庭みたいになってる箇所にはコンクリート片がバラバラ落ちていた。屋根の跡だろうか。

敷地前の排水溝。
とても深く、1mくらいはありそう。

6部屋ある保管庫の手前側両脇には小部屋がある。

小部屋内部。
訪問者が置いていった千羽鶴や、手作りのお地蔵さんらしきもので一杯。
踏まないように注意しながら撮影。

下の四角い穴が換気用の穴。位置からいうと、毒ガスは空気より重いようだ。
上の丸い穴はタンク内を真空にするためのパイプが通っていた穴。

真空にするための機械が置かれていた台。

写真を見るとそうも思えないが、実物を見たときにはなぜかギリシアチックだと思った。

部屋内部。
ここも毒素消去の為、戦後米軍の火炎放射器により焼かれており、その焼け跡が残されている。
地面に置かれているのは毒ガスタンクの台座。

部屋の中に残るタンクの台座。
もちろんタンクは残されていない。

100tタンクが置かれていたそうで、台座もかなり大きめ。自分の足と比較するとその大きさが分かってもらえると思う。

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