大久野島 その4

出入口上部に描かれた非常口の記載。毒ガス製造中ではなく、戦後の米軍徴収時代のものだろう。

トンネルの向こうには海。

事務所棟とは別の棟1階の天井。照明が残っている。

発電機関係が置かれていた箇所。具体的にどんな器具が置かれていたかは勉強不足で不明。

実際稼動中の発電所というものを見たことないのだが、発電所跡には必ずといっていいほど残っているコンクリート製台座。発電機が置かれていたのだろう。

出入口の扉。肩車して書いたであろう落書きが残る。

南東隅から撮影。奥が開所当時の小さい建物。右手に見える棟が事務所棟。

山側の窓。こちらは原型を留めており、一部ガラスも残る。やはり入口側の窓枠破壊は人為的なものだろう。

海岸線の道へとつながるトンネル。撮影していたら向こうを歩いている見学者と目が合ったので走って逃げた。そんなことしたら余計怪しいということも忘れて走って逃げた。

蔦が建物全体を包み、よく分からないが海水ポンプ室跡。


それほど広くない海水ポンプ室跡内部。

ここも戦後、火炎放射器で焼かれており、内部にはその痕跡が残っている。
壁面を手でなぞるとススが手につく。あまりお勧めできないが…。

崩れた壁面に射した陽が綺麗だった。

建物の外に見えるのは発電所跡。蔦が全面を覆っていて分かりにくいが、外部壁面は迷彩処理がされているらしい。

周回道路から見る発電所跡。

中にいる時に目があった観光客はここから建物を見ていた。こちらもびっくりしたが、廃墟の中でうごめく自分を見て、あちらさんもさぞや驚いたことだろう。

現在のフェリー桟橋。

ほとんど痕跡の残っていない医務室跡。
当時からあったモミの木と移設された消火栓が残り、説明板が建てられているだけ。

以下医務室跡説明板転載。
この広場の周りに医務室がありました。当初は診療所程度のでしたが、1937(昭和12)年頃に入院病棟も建てられ、本格的な病院となりました。病院には、歯科、内科、外科、眼科、耳鼻咽喉科、レントゲン室、毒ガス治療室、病棟(30ベッド)などがありました。正面の木は病院の中庭に植えられたもので、当時の写真にも写っています。消火栓は当時のもので、海岸近くにあったものを移設したものです。


残念ながら現存するモミの木がこの写真のどこに写っているか分からなかった。

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