友ヶ島(ダイジェスト) その2

揚弾井を見下ろして撮影しているだけで吸い込まれそうになる。気が弱い人間の典型的パターン。

窓からは海が見える。往時はここから通っていく船を見張っていたのだろうか。

明治期に造られ、何度か補修も重ねられたのだろうが、戦後60年を経ている煉瓦には見えない。

階段を降りて地下通路(?)部分へ。東側の方は発泡スチロールなどのゴミも少なく、瓦礫の山となっている。
遠く及ばないが、軍艦島の地獄段をイメージした。

通路両脇の倉庫内に鉄骨だけとなったベッドが置かれていた。当時のものかどうかは分からない。

第二砲台すぐ横の斜面にあったトーチカ。
海のある北側ではなく、来た道を睨む東側を向いている。
サンダル履きだったので、若干躊躇したが、おっかなびっくり登ってみた。

見えていたトーチカの入口は木片などが詰め込まれていて、中に入ることはできないが、コンクリート部分がはずれて少し落ちているので、トーチカの通路部分が露出している。ここから中に入ることができそうだ。

持参したヘッドランプを装着して中へ潜入。
こんな穴に入る奴も少ないだろと、結構な冒険気分で先に進む。
壁面は結構雑な処理で突き出た岩で何度か頭を打った。5m少々進んで左に曲がっていた。

左に曲がってすぐ出口。灯台方面へ進む道に面した斜面に出た。こちら側からなら苦労せずに穴に入ることができる。大冒険のつもりだったので、少々肩すかしをくらう。

リュックを第二砲台近くの芝生に置いていたので、取りに戻る。芝生には鹿の糞が無数に散らばっていた。
結構動物もいるらしいのだが、結局リスを一匹見ただけだった。

明治5年6月に竣工した友ヶ島灯台。
明治初期に建造された5つの灯台のうちの一つ。もともと海際に建てられていたが、明治23年の砲台建設の際に現在の場所に移設された。高さは15mほど。


この島を訪れたカップルの98%はこの灯台を訪れると思われる。若いカップルと、不倫っぽいカップルの二組と遭遇。

灯台につけられていたプレート。
「明治五年六月ニ五日・・・不明」
「明治二三年八月五日・・・不明」


まぁ建造年と移築年が記載されているのだろう。

海側から望遠撮影した灯台。
自分が行った灯台の中で、この角度で灯台が撮影できたのは初めてだ。

灯台の麓に残る第一砲台。10月末だというのに、大きな虻が飛びまくっており怖い思いをした。

ということで、下に降りてみる。
倉庫らしき扉は全て閉ざされており、中に入ることはできない。左手に見えるトンネルは柵で閉じられているが、灯台入口方面に繋がっている。
正面の小さな出入口はコロポックル用らしい。

灯台から海へ向かう道は砲台跡を通っている。

別の砲台跡。手入れは行われておらず、ごらんの有様。

海べりから航空レーダーを撮影。あのあたりがこの島の最高地点。

草が生い茂る所は一般の人もあまり入らないだろうということで、長靴&ヘッドライト装着で潜入。

それほど深くはなく、すぐ左手に倉庫らしき部屋があった。

前頁 愛知の戦争遺跡特集トップ次頁
/////
観光トップ