半田赤レンガ その5

展示室の壁にかけられてあったカブトビールの看板。

展示室の奥部分。自然の地形を利用して(建物の西側は高くなっている)半地下構造となっており、外気温が伝わりにくいようになっている。
上の写真で天井近くにある換気扇も外側から見るとこんな低い位置となる。

ここの天井は改築されており、少なくとも表面は他の貯蔵庫のように耐火床になっていない。

展示されていた贈答用の木箱。当時、贈答送るビールがいかに高級品だったか想像できる。

木箱も焼印された高級なもの。
ボランティアの話だと、この工場で働いていた人の一日の賃金が8銭だったのに対し、カブトビールは1本10銭したとのこと。
現代でいうところの高級な日本酒レベルの値段。

瓶や品質保護のため、一本一本ワラで包まれていたらしい。ちなみにこのビール瓶は市販の安いものだった。割られちゃ困るし。

ケース内展示の当時の瓶。
当初は栓にコルクが用いられていた。

販売店の店先に置かれていたカブトビールの看板。大量生産の現代と異なり、一品一品が非常に丁寧な仕上げ。
このあたりは現代日本で取り戻していかなくてはいけないところではないだろうか。しかし当然値段も上がるので需要が減ってしまうのでやっぱり無理かも。

表面がはがれて下地のレンガが露出している。戦中の大地震でもびくともしなかったのも、この頑丈な造りのなせるわざ。
ちなみに名古屋城はこの大地震で天守以外の建造物の多くが崩壊してしまっている。

柄かと思ったら文字が描かれている法被。
粋だ。「酒鉱泉株」まではなんとか読める。

明治期のビール瓶用コルク栓抜き。
以下説明板
「ビールコルク栓抜き」明治中頃〜明治末期、コルク栓ビン口に使用した栓抜き。ビール瓶にはコルク栓ビン口と王冠ビン口の2種類がある。当初はコルク栓(木)を使用していたが、明治39年頃から王冠を使用するようになった。大正6年にコルク栓はすべて現在の王冠に変わった

カブトビール銘入りお盆、灰皿など。
以下お盆の説明文。
昭和初期、裏面に「木屋漆器店」の刻がある。同店は三越本店の近くにあり、現在も営業している。

相撲とタイアップしたカブトビールの広告。
中央には座席の値段などが記載されている。
現在はアサヒビールの商品となっている三ツ矢サイダーだが、当時は帝国鉱泉(株)の商品であり、合併後一緒に販売するようになった。

カブトビール提供の化粧回し。

その他チラシなどが展示されていた。

往時の工場の写真。赤い色がついている部分が現存している。小さくて見えないが、往来には馬車の姿も。

戦争遺跡としても名高い赤レンガ、戦時の展示も興味深いものが揃っている。
写真は連合国の共同統治が行われていた場合の切り分け。

半田空襲を伝える当時の新聞。終戦間際の昭和20年7月16日。
「侵入」、「本土戦」。「砲撃」…痛々しいほど、瀬戸際の状態というのが見て取れる。

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