半田赤レンガ その1
(半田市榎下町8  2005/12)
一般公開日のみ内部公開
駐車場 無料(公開日はハウジングセンターの駐車場を開放)

日本でも有数の規模を持つ赤レンガ建造物。1898(明治31)年、丸三麦酒(株)がビールの製造工場として建造、「カブトビール」のブランドで全国展開も行っていた。1933(昭和8)年に丸三麦酒は大手の大日本麦酒と合併、ビールの製造はその後も続けられたが、戦争中の1943(昭和18)年にビールの製造は中止となった。その後は中島飛行機製作所の資材倉庫、日本食品化工のコーンスターチ工場として用いられた。1994年(平成6)年に日本食品化工の工場移転で解体されることとなり、実際解体も始まりかけたが、有志の奔走によって解体を免れた。用いられているレンガの数は現存する建物として三番目にあたる。また、ビールの製造過程において必要な複壁や、戦時中に米軍の機銃掃射跡等、赤レンガ以外にも見るべきものは多い。
崩壊の危険回避等の面から内部の見学は年間数度のイベント時のみ行われている。


今回は限定5000本のカブトビールとTシャツ購入、および写真の取り直しが目的。前日ものすごい大雪で行けるかどうか微妙だったが、当日は良い天気で絶好の撮影日和。ワイパー不動の愛車でなく電車で訪問。


南東方向から撮影した赤レンガ。一番絵になるアングルで、この建物を紹介する写真のほとんどがこの方向からのものを使用している。

5階部分。
最高部は21mで展望は良いらしいが、内部公開時でも立入禁止。階段が木製ということもあり、危険回避の為なのだがやはり登ってみたい。

北東方向から撮影。内部公開時の柵内入口となる。
今回は建物直下に無粋な出店が出ることもなく、いい感じで撮影することができた。

少し近寄って撮影。
塔部分より手前は増築された部分らしい。

上の写真右側部分(建物北西部)に残る機銃掃射跡。
昭和20年7月15日、当時この建物は中島飛行機製作所の資材倉庫として使用されていたため、半田市内を襲ったP51によって機銃掃射を受けた。
ただ建物の規模からすると、北面のみの機銃掃射で爆撃なども行われていない為、それほど執拗に攻撃されたわけでもないようだ。

機銃掃射跡アップ。
前回訪問時には壁に食い込んでいた機銃の展示が行われていたが、今回は見られなかった。

さらにさらにアップ。
当然といえば当然なのだが、機銃掃射跡は削られてもレンガの柄が見えている。不謹慎ながら、あえていうと金太郎飴状態。

北面窓撮影。
イギリス積という手法が用いられているらしいのだが、何がイギリス積で何がフランス積なのかさっぱり分からない。

北面の大窓(?)
大きさからいうと、資材搬入用かとも思ったが、当時ここまで資材を吊り上げる機材があったかといわれると微妙。

展示されていた2階内部の写真。
大窓は3階なので、奥に写っている窓は上の写真のものと違うものなのだろうが、内部から見るとこのように見えるのではないだろうか。
窓下部が床まで達しているのでやはり何等かの資材搬入・搬出用としか思えない。

建物東面の「登録有形文化財」の碑。
あまり誇らしげでないところが気に入った。

建物東面を撮影。
往時はこの東面にも3階建ての建造物が付随していたが、平成に入って破却された。

5階建部分撮影。
1,2階は窓にはガラスが入っておらず、板がはめ殺しになっている。最初は侵入防止かと思っていたが、破却された建物(増築)があった部分なので、窓として使用されておらずガラスも入っていなかったのだろう。

南東方面から撮影。
「ハーフティンバー」とよばれる木骨レンガ造りとなっている。結構珍しいものらしい。
写真右側側面(東面)手前にも往時は建物が付随していたため、現在の壁は後付け。

ハーフティンバー南面。

内部に展示されていた「ハーフティンバー」の説明板(一部)。
要約すると、木骨の柱・梁の間をレンガで埋めて壁を形成する西洋の建築構造様式。日本建築と異なり、壁自体が建築の基本的構造要素になっているということらしい。


難しい事は良く分からないが、とりあえずクララが車椅子から立ち上がる感動シーンが頭に浮かんだことだけはそっと報告しておこう。

建物東面を南側から撮影。
昨日の大雪でぬかるんでいたので、登山靴を履いてきたのは正解だった。

南側入口部分。
ほとんどの人は北側から入って、南側から出てくるので、ここから入る人は少ない。

とりあえず、積もった雪で一人フュージョン。
一眼レフを持った老夫婦に目撃され「大丈夫ですか?」のお声をいただく。
内心「まだ行き倒れるような年齢ではない」と憤慨しつつも、「えぇ、ちょっと写真を…」と固い微笑みを返す自分は今日も謙虚だ。

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