しまなみ海道 その1
(今治市ほか 2007/5/27)

「戦争遺跡見に中国地方へ行かない?」、いつものように筆皇に声をかけた。
即許諾の返答を寄こして来た筆皇だったが、せっかくの遠出ということで、42号と94号に声をかけることになった。
戦争関係の資料館で泣く確率85%の42号は行く気満々だったが、やぶこぎがあると聞いて急きょ辞退、逆になぜか全く戦跡に興味のない94号が参加表明をしてきた。


初日は夜行バスで就寝、二日目は蓋井島で地獄のやぶこぎを行い、その日は松山行きのフェリーで就寝、三日目は芸予要塞のあった小島と、原付を借りてしまなみ海道の観光へと出かけた。
戦争遺跡のレポートは特集ページに譲る事とし、今回はしまなみ海道プチツーリングのレポート。

門司から松山行きのフェリーで就寝。
季節外れのせいか、2等寝台でも全く狭苦しさはなかった。
しかし近くで夜遅くまで話続ける夫婦&子供には閉口、文句の一つも言いたくなるが、旦那の腕に刻まれたタトゥーは、自分達3人の口を封じるのに充分な力を持っていた。

松山駅のホームで、時刻表を眺める自分にアンパンマンはやさしく話しかける。
「僕の頭を食べなよ。」
「申し訳ない、アンパン嫌いなんです。」

3人共、世間で肩身が狭い喫煙者。
昔ほど、簡単にタバコが吸えないので、灰皿があれば気持ち悪くなるまで吸っておく。これ喫煙者の常識。

JR四国の予讃線で今治へ。今回の荒行ではJR西日本・四国・九州・東海を使用した。

クロスシートとロングシートが混じる車内。名古屋近郊では見かけない配置だが、これもセミクロスシートと呼ぶのだろうか。
朝早いこともあって、車内はガラガラ。

発車して数分後、カメラの故障か、ここまで撮ってきた画像データが飛んでしまった筆皇。
神岡鉱山訪問時は突入直前にカメラが壊れ、ここではデータ消去、つくづく写真運のない男である。
「パパウパウパウ!」、哀しみのあまり叫ぶ筆皇であったが、94号は全く無視。

ショックの余り、奇妙な踊りを始める筆皇。

あまりのうっとおしさにズーム・パンチを繰り出す94号と、ウィル・アントニオ・ツェペリ譲りの技で、スルーする筆皇。

写真が消去されるという精神的ショックにより、幽体離脱する筆皇。

今治到着後、要塞跡のある小島を散策。そちらの模様は「戦争遺跡」特集にて。
本土に戻った後は、この日のメインイベントである、しまなみ海道観光 by レンタ原付。
原付に乗るのはサイパン以来だ。あの時は派手に転倒した。壊れたライトは接着剤で直して返した。

自動車だと、結構な料金をとられるしまなみ海道であるが、原付であれば自転車料金と同額。海の上を渡る風を感じながら観光できるというものだ。


写真は最初の橋、「来島海峡大橋」。四国本土と大島を結ぶ。途中、馬島に橋脚があり、原付や自転車はエレベーターで島に降りることができる。

来島海峡大橋の上で早速撮影。
カメラを持ってきていない94号は、撮影の為に原付を停める度、めんどくさそうな顔をする。
相変わらず、何の為についてくるのか分からない男だ。

この日は生憎の曇り空。視界もあまり良くないが、それでもそれなりの景色を堪能することができる。


車道を通り過ぎて行く自動車では、じっくり味わえない景色だと思うと、優越感で気分が更に良くなる。人間は人より条件が良い場合、平等を唱えることはない。

写真だとしょぼいが、迫力のある柱(?)。
これだけの規模の橋で、ゆっくり撮影する機会はあまりない。そう思って撮りまくった写真ではあるが、家に帰って見直してみるとしょぼかった。

橋脚のある馬島へエレベーターで降りてみる。


別に何があるわけではない。


ただ、自動車に乗っていると降りられないという優越感を満足させるためだけにとった行動のだから。

原付のままエレベーターへ。
基本的に観光用ではなく、橋脚のできる馬島島民への和解案として作られたエレベーターらしい。
車でも馬島へは降りられるのだが、島民の車専用となっている。これも和解策の一つらしい。

特別何があるというわけでもない島なので、橋脚など撮影して、早々に退散。
これで、死ぬ直前に、「俺は馬島へエレベーターで降りた」と満足して逝ける。

大島到着後、しまなみ海道で一、二の展望を誇ると言われる「亀老山展望台」へ。つらい山道も、原付なら楽々。
山道の途中途中で、このような展望台が設けられている。安全なのだろうが、横から見るととても怖い。

亀老山展望台から撮影した来島海峡大橋。やはりガスがかかっていて、展望は良くない。

駐車場にある展望台から撮影した亀老山展望台は、写真の奥側。一応売店などもあったりする。

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