三重海軍航空隊その4 | ||
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なぜかロープで保護された管。ガラに混ざってたものと同類。 覗いてみたら、1m以上の深さがあり、底には水が溜まっていた。解体時にそのまま破壊しないようにロープが張ってあるのだろう。 |
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竈跡。 上屋がない状態でここまで残ってるのは他に見たことがない。他にも竃はあったのだろうが、発見できたのはここだけ。 |
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第十一講堂と第十二講堂を繋ぐ廊下東側に残る基礎。コンクリートの壁面が残っており、形状からして兵舎ではない。 | ||
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床の溝の用途すら不明。 最初は風呂かと思ったが、出入口のすぐ西側に竃があることから食堂、もしくは厨房施設と思われる。 |
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篠島の戦争遺跡散策の時にも大量発見した故カタツムリ。ここでも再会。 | ||
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第十一講堂と繋がっていた第十二講堂らしき跡。 中央の高くなっている部分が通路、右手が講堂だろうか。 こちらは第十一のような束石が見られない。基礎を残して束石だけ取り除くとも思えないし、高さ的に埋まってるとも思えない。 まぁ結局分からないということで。 |
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建物入口部分。 | ||
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隅の部分の狭そうな部屋。 土がかなり堆積しているので確定できないが、部屋の配置からすると便所か。 |
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篠島ほどではないが、短時間で3つの故カタツムリを見つけた筆皇、「後から来た人のために」と余計なプレゼント。 | ||
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第十二講堂(?)を東から西方面に撮影。左手に厨房らしき建物、正面奥が束石林立建物。 通路のコンクリートは薄く、少し体重をかけて乗るとパキパキ割れる。 途中、あまりにも軽快な割れ音がするので足元を見てみると、さっき筆皇が置いていた故カタツムリを踏み砕いていた。 |
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更に未舗装の道を横断して東へ →【地図】 円形のコンクリート建造物跡が残る。入口というか切り込みっぽい部分があるが、埋まっているため入口かどうか不明。 航空写真と照合すると平成の初期まで残っていたという大煙突付近のはずなので、石炭置場など付帯施設の跡らしい。 |
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昭和50年の航空写真でも屋根の抜けた建造物と煙突が確認できる。 煙突左上の逆「C」の字の物体が、上の丸い遺構か? |
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一部が残る壁。 煙突のあった汽缶室の一部だと思われる。 |
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