三重海軍航空隊その2

標柱近くに展示された海軍マーク入りの消化栓。
よく見ると、元々置かれていた場所のコンクリートもくっついている。
シルエットは完全に「ろぼっ子ビートン」だ。

資料館の横には碑霊苑。
各期ごとにつくられた慰霊碑が並ぶ。ただ、同期でも甲種・乙種が異なると碑も異なっており、部隊内の壁というものがひしひしと感じられる。

航空隊の点鐘台。
時報を知らせる鐘が吊り下げられていた台で戦後移設されたもの。

正面には「若櫻の碑」。
ちなみにこの施設は歴史資料館となる前は20年近く「若桜福祉会館」という名称で、航空隊関係の資料や遺品を展示していた。

歴史資料館一階ロビー。
通常は津市民以外は200円の入館料が必要だが、この日は関西何やらデーとかで無料だった。

入口には旧香良洲町の航空写真。今じゃ航空写真も珍しくないのだが、この旧香良洲町の三角洲っぷりは別。改めてそのデルタっぷりが堪能できてかなり満足。
いや、しかしすごい洲だ。

係員のおじさんが航空写真を使って色々紹介してくれる。客は自分達と変なおじさん。
変なおじさんが横から口を挟むので係員に「黙っててくれ」と注意されていた。

遺構のほとんどが住宅化してしまい、唯一それらしい痕跡が残る北側の旧兵舎地区。
係員のおじさんに今でも痕跡は残っているか聞いたが、更地になって残っていないとのこと。
航空写真を見るとそれっぽい跡が見えるが、10年前の航空写真とのこと。

1945年(昭和20)終戦直後の航空写真。
この時点でかなりの兵舎などが解体されている。上(北)部分が兵舎区域。下(南)部分の練兵場には南北に伸びる訓練用の滑走路が見える。訓練部隊ということで所属する航空機自体は無かったとされる。

本当は現在の地図と重ね合わせたかったのだが、ここを紹介してもらったまつさんのHPでもやっていたので断念…。

一階ロビーに置かれていた零戦の模型。そして背後にはなぜか大和。

半屋外の海から引き上げた部品コーナーに主翼の一部(?)が展示されていた練習機「白菊」。
教官1名、練習生3名が乗り込んだそうだが、ちょっとキャパオーバーなのでは…。


二階は民俗資料館、三階は平和記念展示室・遺品室ということで撮影禁止。
とりあえず三階にあったジオラマの兵舎部分だけ撮影させてもらった。


三階の遺影・遺品・関係資料の展示は質・量とも地方の資料館とは思えないほど盛りだくさん。やはり遺構散策の前に見学しておくのが無難。
どうでもいいが、一緒に説明を受けたおじさんがうるさくて敵わなかった。

建物の様子が見やすい1951年(昭和26)の航空写真。
訓練区域跡では宅地・農地化が若干進んでいるが、兵舎区域は建物の基礎がはっきり残っている。

また、かなり薄れてしまっているものの南側の滑走路跡も若干残っている。


昭和26年航空写真に今回見学した遺構や見学ルートを追記。カーソルを合わせると追記部分消去。
まぁ元資料無く、個人で作成したものなので細かいことはいいっこ無しということで。

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