愛岐トンネル群(旧国鉄中央線)一般公開 その2

3号トンネルを越えた所の説明板は序盤の概要的なものが多い。
個人的にNPO法人の多くは胡散臭いと思ってるのだが、こういったものなら応援したくなる。金銭的な応援は難儀なのでとりあえずお祈りでよろしいだろうか。

1000円以上寄付すると復刻版の硬券切符がもらえるのだが、そんな多額な寄付ができない人でも気楽に寄付してもらえるよう「少額募金箱」が用意されていた。とりあえず自分のようなケチくされが利用するのはこっちの募金箱。


トンネル群配置図。
公開されているのは全部で14本(廃止時は13本)あるうちの3〜6号の4本。これ以外に現在も保守で使用されているという1,2号と多治見前の13、14号が調査確認済。残りの7〜12号は未調査で今後の調査が期待される(9号は昭和15年廃止)。

大文字焼みたいなポーズで歩き続ける太郎。「廃」に対する憧憬は自分のDNAを受け継いでいないようだが、日本男子のデフォルト行為「拾った棒は振り回す」についてはさすがに共通。

線路は当然残されていないが、地面に敷かれたバラストにこの道の前歴を見ることができる。

廃線横を流れる庄内川と渓谷。
かつての景勝地だけあって、景色を眺めながらの散策はとても気持ちが良い。

線路跡なのであまりアップダウンは無いのだが、バラストの敷かれた未舗装路なので歩きやすい靴じゃないと結構疲れる。こんな所にハイヒールでやってくるキチガイはいないと思うが。

道の端に群生している竹はベンチや水車などに加工されてコースのあちこちに置かれている。
余った端切れはもらっていっても良さそうなのだが、節の部分がないので見た目のインパクトほど使い道は無い。

通りかかったおばちゃん達も山吹色い声をあげて喜んでいたが、節が無いのに気づくとさんざん毒気づき、気が晴れると各自1,2本づつ鞄に入れて去っていった。

現在は「竹林橋」という名前になってる鉄橋跡。もちろん鉄橋の土台もレンガ積み。
ネーミングの由来は近くに竹林があるから。

自分と太郎、人の目も気にせず親子チャンバラしながら歩いていると4号トンネルが見えてきた。

入口付近では現在と当時の写真が展示されており、その景観の違いを比較したりするのもなかなか楽しい。

上の写真では周辺の雰囲気が分かりにくいので少し引いて撮った写真。
だいたいどのトンネルも人だかりとしてはこんな感じ。タイミングが悪いと撮影する順番待ちも発生したりするが、大半は入口側しか撮影しないので出口側であればもう少し落ち着いて撮影できる。

4号トンネル、長さは75m。

なぜか廃軽トラが放置されている4号トンネル内部の様子。
天井のレンガは機関車から吐き出されたススで黒ずんでいる。

出口付近。
トンネルの壁面に見えるシミみたいなものはレンガ表面ににじみ出てきた水分。ドラえもんのタイムマシン移動中(CGバージョン)の背景を思い出した。我ながらさすが四十路前だ。

4号トンネル出口付近に残るレンガのクラック説明書き。
「注目すべき〜」というbe going toな見出しの書かれ方をするとついつい真面目に読んでしまう。この辺りの心理は気が弱い人でないと分かってもらえないのがつらいところ。

ということでトンネル入口に展示されていた当時の写真。ご覧の通りすれすれ…というか煙突部分なんかよく接触せずに通過できたもんだ。

パンフレットによると、トンネル通過中は煙が運転台にこもるため足元の風穴に口を押し当てて呼吸したとのこと。

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