半田赤レンガ(旧カブトビール)H22特別公開 (説明板)

まずは今回の目玉展示「明治と昭和をつないだトロッコ」の説明板。表題の説明板はコチラ

新聞に掲載された広告に描かれたトロッコ。
シロッコに似てると思ったあなた、それは人前で言わない方がいい。


工場内の写真に写っているトロッコ。


本来は現存する建物部分(赤く描かれた建物)の説明によく使われていた絵であるが、ここでは描かれているトロッコについて説明がされている。


トロッコ軌道がしっかり写っている写真。写真上部左手にハーフティンバーが見える。


工場内に存在したと思われる転車台の例。存在を確定させる資料が無いので例。
知多半島の転車台と言えば武豊港駅跡に残る転車台(回転ぽっぽ台)が有名


こちらは半田駅にあった特設倉庫の写真。


特設倉庫があった半田駅の現在の様子。ご覧の通り特に何も残っていないようだが、基礎とかもないのだろうか。

歴史コーナーの説明板
その名の通り、半田赤レンガ建物の概要。
しかし前から思っていたのだが、「赤レンガ建物」ってどうもそのまま過ぎるというか、友達を紹介する時に「男です」とか言ってるような漠然とした感じがするんだよなぁ。

…かと言って訳の分からん愛称とかつけられてもカッコ悪いし。まぁ地元では「赤レンガ建物」の名前で通ってるからもういいのかねぇ。


最近イギリス積とフランス積の違いがやっと分かった。ついでに長手積もね。

明治31年から昭和18年までおよそ40年に渡る赤レンガでのビール製造の歴史説明。

しかし近世の半田における中埜一族の活躍ってすごいものだ。何かしら必ず名前が出てくる気がする。

最盛期から吸収合併、製造停止に至るまで。


カブトビールの年表。更に拡大写真はコチラ

吸収合併からビール製造停止、そして他業種へと人手に渡っていった赤レンガの変遷。

解体が始まってからの働きかけで全面解体が中断されたということに少々驚く。普通なら解体はじまってしまえばよほど強力な口聞きが無い限りそのまま解体しきってしまうと思うのだが。
まぁ東部分は残念だったがメイン部分が残って良かったと思う。


更に拡大写真はコチラ


戦時中は中島飛行機の衣料倉庫となっていた。


半田市に購入されるまで戦後の大半はこの日本食品化工半田工場として操業していた。

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