武豊停車場跡
(知多郡武豊町)

現在のJR武豊線の終点武豊駅の南側約1kmの所にある。
武豊線は県下で初めての鉄道として明治19年(1886)3月1日に武豊一熱田間において営業を開始した。もともとは東海道線の資材運搬用貨物線として建設されたが、開通直前に旅客営業の許可もおりたため、半田、亀崎、緒川、大高に駅が作られた。
開業時は武豊・熱田間を1時間45分で結び、1日に2往復運転されていた。


明治22年〈1889)当時は半田線という名称であったが、東海道線が開通すると武豊線と名称を改めた。
明治25年(1892)武豊駅が現在の地に移設されたため、それまでの駅は新武豊駅の構内として扱われる。
昭和5年(1930)貨物運輸用の武豊港駅として復活。
昭和40年(1965)武豊港駅廃止。
平成11年(1999)地元小学生が授業での散策で再発見。その後町長に保存嘆願の手紙を出したことにより保存が決まる。
平成13年(2001)修復完了。
平成20年(2008)町で愛称を募集。66歳主婦の「回転ぽっぽ台」が採用された。



一見、フェンスと屋根で、メリーゴーランドのように見える停車場跡。


面する道路は国道247号線、通行量も多いので、写真を撮っていると鉄ちゃんと思われるのではないかと心配になった。

昭和2年、「ライジングサン石油会社」の依頼で建造されたターンテーブル。
おもに石油タンク車輛に用いられたらしい。

武豊駅・及び武豊港駅跡付近の航空写真。
二駅を結ぶ線路跡はそのまま道路になっており、簡単にその跡をたどることができる。
ちなみに日油(旧日本油脂)への専用線もあったが、ここでは省略している。


当時の武豊港駅・転車台付近の地図。左が北側となる。中央やや上に記載されている丸印が転車台。現在は埋め立てが進んでいるが、当時は桟橋がすぐ近くにあった。


説明板1。
一番の不思議はこの説明板によると、転車台は平成11年に小学生によって発見されたとの事であるが、それまでは土の中にでも埋まっていたのであろうか?昭和30年代くらいまでは使われていたようなので、存在が知られていなかったとも思えず、ただひたすら謎。


後に掲示板にいただいた情報によると下記の通り。
説明版の「小学生が発見した」という記述についてですが、それ以前も埋まっていたわけではなく武豊線開通100周年の記念碑の裏にありました。ただ、全く整備がされておらず、木の部分が朽ちて崩れており、レールもかなり傷んでいました。自分が小学生のころにも『発見』したことはありましたが、何なのかよく分からず結局誰にも言わないまま忘れていました。
とのこと。やはり姿はあったようだが、なぜ武豊町教育委員会がこの平成11年に「発見」としたのかが不明。


武豊町の生涯学習課に訪ねたところ、以下のような返答がもらえた。
町は転車台の位置等は把握していたが、廃止後は当然ながら整備など行っていなかった。当時の転車台跡地は草むらと捨てられたガラに覆われた荒れ地で人が立ち入ることはほとんどなかった。
平成11年、地元の小学生が授業の一環として武豊線について調べていた際、草むらの中で転車台を再発見した。線路や木材部分は腐食しきっており、崩壊寸前であった。その後小学生達が当時の町長宛てに転車台保存の手紙を書いたことから町での整備保存が決まり、平成13年に修復が行われ現在に至っている。
本来であればそのまま野に埋もれるか、解体される運命であった転車台が、小学生の再発見や保存嘆願等により整備保存がされるようになったので、説明板にはあえて「発見」と記した。
整備をする上で当時の資材をなるべく使用しているが、腐食してしまった箇所はやむなく新規の資材を使用している。当時のように実際手で回すこともできるように整備したが、危険防止の為現在は固定している。

とのことであった。


武豊線開通100周年を記念して作られた碑。
愛知県内で最初に鉄道が開通した路線で、半田・武豊の歴史的自慢の一つ。終点である武豊行きが「上り」となっているのも特徴。


ターンテーブルの説明板。丁寧で良いと思う。

このターンテーブルの上に貨車を乗せ、人力にて90度回転させ他の線路へ移すという作業を行っていた。
資料によると、1日10回ほど使われていたとある。

ターンテーブルの車輪部分。いくら車輪があるとは言え、一回に回転させられる貨車は一両である為、結構大変だったろうなと思う。

直径7mと、梅小路蒸気機関車館で見たターンテーブルに比べるとかなり小規模。
ただここの転車台は直角二線式という方式で日本ではここだけしかなかったとのことである。

ターンテーブル脇には腕木式信号。
何気に置かれているので、最初に来た時は存在に気付かなかった。

根本には切り替えレバーも残されているが、鎖で縛られていて操作できない。

ダルマポイントとも呼ばれる転換器もぽつんと置かれている。
前に乗っていたランクルのデフロックレバーに似ていて懐かしかった。

汽車を模したベンチもどきも置かれているが、完全に浮いて見えた。少なくとも自分の目には。

JR武豊駅前にある高橋煕氏の像。
昭和28年9月25日知多半島を直撃した大型台風(13号)の高潮によりレールが流された。
武豊駅員高橋煕さんは大暴風雨の中、通りかかった列車に発煙筒で合図を行い、無事大惨事を免れる事ができた。しかしその直後高橋さんは高潮にのまれ死亡してしまった。


この像は一年後、高橋さんの功を称え作られたもの。国鉄としては像の設置には良い顔をしなかったそうだ。

現在のJR武豊駅。近くを走る名鉄河和線と比べると運転本数も少なく、乗降客数も少なそうである。
少し前まで、駅から南に向かって若干線路が残っていたが、現在では、100mくらい行った踏切部分で線路は取り払われてしまった。

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