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正門。 もともとは西之丸榎多御門という門であった。明治期に江戸城から蓮池御門が移築されたが、昭和20年の空襲で炎上消失した。 現在の門は昭和34年の再建。 |
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西南隅櫓。(現存) 未申櫓ともいう。武器・食料の収納庫としても使用されていたらしい。 濃尾地震で崩壊したが大正12年に修復された。 外見は2層だが内部は3階まである。 |
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堀の中で生活している鹿。 ここの鹿とは関係ないが以前、関東のオフロードコースで網に角がひっかかった鹿を大人数で解放した事があったのだが、ものすごい力だった。 同じような状況で太ももを刺され死亡した人もおり、かわいそうだと言う事で安易に近づくと鹿も死に物狂いでかかってくるため非常に危険。 |
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西南櫓の近影。 通常内部は未公開であるが例年一ヶ月程公開される。遠方から来られる方はなるべく日程をあわせて訪れていただきたい。 ちなみに自分は内部に入ったことはない。 建物の大きさに比べて石落としが大きくて迫力があった。 説明板 |
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東南隅櫓。(現存) 辰巳櫓ともいう。基本的には西南櫓と同じ作り。 |
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大天守と小天守。 再建された鉄筋コンクリート製ではあるが大変美しい姿を見せている。現存時とは最上階の窓の形が異なる他はほぼ同じ姿をしており、大戦時の炎上は非常に残念である。 個人的には大阪城よりスタイルはいいと思っている。 |
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大天守を下から撮影。小さい時から見慣れた城であった為、当時城というものはすべてこれくらいの規模であると思っていた。 しかし長じて城に興味を持ち、小さい城をある程度まわるとこの城がいかに巨大な城であるかと言う事が再認識させられる。 |
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大天守閣には小天守閣に入って左右を石垣に囲まれた橋台を通ってからでないと入れない。写真は通路内側の写真。 |
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大天守閣と小天守閣を繋ぐ橋台の外部に面した西側には防御のための剣塀が見られる。 これは軒先に槍の先のようなものをずらっとしかけて外部からの進入を防ぐ為のもの。 |
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名古屋城のシンボル「金の鯱」。 ちなみに北側が雄で南側が雌。この写真は北側の雄の写真。大きさも雌雄で若干異なり、雄の方が40cmほど高く、60Kgほど重い。 江戸時代には経済難から三度改鋳され、その度に金の純度が下がっていき、最後は天守閣と共に燃えてしまった。 現在は茶室で金の茶釜となっている。 |
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確か大阪城にもあったと思うが、名古屋城にもバリアフリーの一環として外部エレベーターが備わっている。広く人々に見てもらうには有効ではあるが、もう少しやりようがあるのではないかと思う。 あくまでも個人的な意見ではあるが…。 |
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エレベータを横から撮影。 |
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