宇連廃村 その3

屋敷さん達と別れ、撮影開始。
HEYANEKOさんのレポートを読むと、昭和42年3月閉校、奥が校舎で手前が宿直室らしい。


ここまで崩壊してしまうと、家だか学校だか寺だかよく分からないが。

宿直室(らしい)。
室内にはなぜか校舎内よりたくさんの教科書が散乱している。建物は日当たりなどの関係か、校舎側より崩壊が進んでいる。

宿直室の屋根。
堆積した落ち葉が積もっていてよく見えないがかなり傷んでいる模様。

宿直室らしいといえば、やはりこの竃。補修用らしい瓦も置かれている。

宿直室の床に散乱したビンテージ教科書。昭和30年ものが多かった。

マニアはこの使用感というものがたまらないらしい。

ダイナミックな熊一家の物語。


生きるか死ぬか…大自然の厳しさをテーマとしており、そのクライマックスの壮絶さには授業中泣き出す児童が続出したらしい。


写真はそのクライマックスシーンのページ。

往時の児童達の様子を再現。教室では無く宿直室なので危険な個人レッスンの香りもするが。


テーマは「手をあげたいのに恥ずかしいから控えめに手をあげる少年」。

「本を読む少年」。
「屁で飛んでる少年」ではない。

宿直室の奥にある削平地。
おそらく運動場であったと思われる。

校舎を運動場側から撮影。奥側に来た道がある。

正面側から撮影。
こちらの屋根にはあまり落ち葉が積もっていない。

校舎内を撮影。
机や黒板など、一目で「学校」と分かるものは残っていない。机はともかく、黒板が残ってると嬉しかったのだが。

壁に貼られた「カタカナ五十音」。
ダリヤの「ダ」はともかく、ジープの「ジ」はちょっと今では見られない凡例だ。

正しい本を読む姿勢のポスター。
立ってる少女より、座ってる少年の服と靴のバランスが気になって仕方無かった。

言うことも無ければ、言われることも無い。嫌な大人になったものだ。

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